雑感

2010/03/07

ひゅうひゅうという風の音

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

東京は今朝から、小雨ながら風がひゅうひゅうと吹き、まだ冬が続いていることを感じさせます。とは言っても、本当の冬とは違って気温も上がってきているのですが。

この「ひゅうひゅう」という風の音。

窓辺で私がキーボードを叩く「カタカタ」という音の合間に、殴り込みをかけるがごとく、窓の外から伝わってきました。

急に思い出されました。故郷の新潟で毎日聞いていた、あの音だと。

「ひゅうひゅう」が、海鳴りの「ゴー」という音と、二重奏し続けているのです。ずうっと。冬の間。

雪ふる土地でハイヒールをはく人はいません。だから、街にハイヒールの「カツカツ」という音は響きません。

二重奏だけが響いているのです。

あの気候の厳しさに比べれば、東京など、本当に別天地。

気候風土の厳しさは、地方の疲弊の一因です。

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2010/03/05

個性

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

卒業式シーズンが到来したようです。

昨日、都内のあるホテルに行きました。

通りがかりに、左に某大学の卒業パーティ、右に某高校の謝恩会を発見しました。

左側には着飾って肌を露出した20代前半のお嬢様方が、右側には肌を覆う黒とかグレーの礼装の40代後半から50代の女性たちが固まっていました。

大変失礼なことながら、つい見比べてしまいました。

そして思いました。

中年女性は個性がある!

人付き合いの度合い、経済状況(家計)、考え方、関心の所在、いろいろなことが顔に出ているように思いました。誰かに気に入られようなどと考えていないのでしょう、素のままが現れているようでした。

もちろん、若い女性には男性たちが関心を寄せるだけの要素はあります。きれいだし、シャンデリアを肌に当てたときの照り返しは、まことに美しいです。その肌にまとったドレスが良く映えていました。でも、相当数まとまっていると、どの方も似た感じに見えて区別がつきにくいのでした。

年をとることって、いいことだなと、思いました。

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2010/03/04

100㎡の部屋をシャープペンシルで塗りつぶす

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

ふと、思いました。

100㎡の部屋をシャープペンシルで真っ黒に塗りつぶすとしたら、どれ位時間を要するのかな、と。

実験を完了する前に心が折れますワ。

刷毛でペンキを塗ったらよろしい。

いや、根性を試すためにシャープペンシルを使うんです、と言う目的なら?

そりゃあ、ま、シャープペンシルです。

真っ黒な100㎡の空間が必要、と言う用途なら、刷毛です。何のための黒い部屋か、は知りたいですが。

シャープペンシルで塗りつぶす行動自体が疲れるのではなく、目的が不明だから放棄したくなるわけです。

目的合致性が大事です。

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2010/03/03

「理論」

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

4月から大学で再び教鞭をとることになりました。

その準備をしている最中、知人から電話があり、ひとしきりおしゃべりしました。

いわく、

「学生の中には、理論的考え方どころか、理論に触れたことがない人もいるようだから、まず、「理論とは」と言う講釈から入るといい」

え?と、聞き返しました。

理論に触れたことがない、と言う意味が分からなかったのです。

感情だけで反応することに満足していて、言葉の中にきちんとした学説の裏づけがあることに気づきもしない人がいるのだと。

なるほどね、感情的な反応は「論」にはならない。「論」を「論」として確立するために多くの学説を知ってその裏づけとする努力は必要です。

4月からの授業を前に、少し緊張してきました。

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2010/03/01

さくらや閉店

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

さくらやが全店閉店しました。

一時、さくらやばかりで買い物をしていたことがあり、それがもうなくなったんだと思うと、なんだか寂しいです。

CMソングも耳に残っています。

私の財布にはポイントカードが残っています。

ポイントカードを取り出してみますと、ポイントの期限は2008年で切れていました。それをそのまま財布に入れていた私も間抜けです。

ポイントカードは行く先々で作るものですから、財布の中身(つまりお金)より、カードの方が多く、そこにレシートなんか入れちゃうと、もう、パンパン!

このご時勢ですから、きっとこれらのカードの中にもなくなってしまったお店があるかもしれません。

・・・ということで、ちらちら見ますと、やはりありました。青山のブティック、化粧品店、デパートのたこ焼き、大判焼き。

ん?このファミレスもうなくなっているかもしれないなあ。この間通りかかったときにドアが閉まっていたから。今度確かめようっと。

どうということのないポイントカードに、郷愁を感じてしまうとは、お恥ずかしい。

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2010/02/26

良い陽気です!

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

良い陽気です!

どこからともなく、花の香りがしてきます。

なんでも前向きにやっていこう!という気持ちになるから、不思議です。

この陽気は誰をも等しく包みますが、どうそれが作用するか、影響の出方はひとそれぞれです。

そこに、面白さを感じます。

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2010/02/18

考え事をしていると

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

出張から帰ってきてから、また、ブログの間合いが遠くなったような・・・。
考え事をする日が続いているせいでしょうか。

執筆を生業とする人の特長だと思うのですが、資料を読んだり、考え事をしたりするのに長いスパンの時間を要します。いったん何かを考え始めると、そのモードが1日中、あるいは数日続きます。

そうすると、ホームページの更新もツイッターでの発言もちょっと間遠になります。

更新を楽しみに待っているみなさま、すみません。

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2010/02/15

チャーチル首相も観て泣いたとか

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

月曜日の朝、米国の友人から電話がかかってきました。
友人といっても、会ったことがない男性の友人です。
(そういう友人が多い)

テレビで昔の映画を集中放映していて、「カサブランカ」を観て泣いちまったんだ、と友人。
ああ、ハンフリー・ボガードね、と私。

チャーチル首相もこれを繰り返し観ては泣いたんだ。

そう、そうなの。

男が泣くときってのは、女のためじゃないんだ、国のためなんだ。

アラ、あたしも男のためになんか泣いたことない。国のために立ち上がるかもしれないけど。
スズカは女じゃないもんな。

女になったこともないくせにどうしてわかる?パートナーの○○は泣いてないでしょ。

そうなんだ、フランス語の歌を歌っていた。立ち上がって。

ほら、ね。

男性はロマンチストです。

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バレンタインデーで・・・

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

2月14日、日曜日はバレンタインデーでした。
何もしませんでした。
誰にも何も贈らない。
これが我が人生だという思い、これでいいのか、という思い。両方あります。

スウェーデンで冬を過ごしていたころ、昨日がバレンタインデーだったという日に、スウェーデン国防省の人と会いました。

私がつけている琥珀のネックレスに目を留めて彼はいいました。

「スズカ、ステキな琥珀をしているね。すばらしく大きいね。リトアニア産かな?誰から贈ってもらったの?」
「自分で買ったのよ」
「昨日、ボーイフレンドにバレンタインプレゼントを贈った?」
「まさか。女性からも贈りものをするの?」
「もちろん、妻からキスをもらっただけだったけどね。今年は妻に真珠のネックレスを贈ったんだ。彼女が琥珀をだめにしたんでね。香水は琥珀にはつけないほうがいいよ。琥珀が変形するからさ。妻が琥珀をつけてから香水を振り掛けていたらね、色と形が変わってしまったんだ」
と、ご夫人の自慢話へと移って行きました。

ご夫婦の様子が手に取るように分かる会話でした。
軍隊の歌をレストランで歌うような豪放磊落な人ですが、女性の身に着けるものの一つ一つに、細やかな関心を寄せる洒落たところもある人です。

彼、今年はご夫人に何を贈ったのでしょう。

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2010/02/13

「孤独死」コラムに多くのアクセス

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

2月10日(水)に公開された日経ビジネスオンラインの私のコラム「孤独死はそんなに大きな問題か」が、日経ビジネスオンラインの「会長/社長、役員が読んだ今週の記事TOP20」、「女性が選んだ今週の記事TOP20」、「年収2000万円以上が選んだ今週の記事TOP20」で、それぞれ第1位に選ばれました。

コメント数も第1位でした。

「死」は誰にもいずれ訪れることです。誰もが関心があるテーマだったと改めて分かりました。

読んでいただき、ありがとうございました。

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2010/02/11

毎朝の”ふんがい”??

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

最近、トリが我が家のベランダでフンをして行きます。

毎朝の日課は、バケツに水を汲んでこのフンを流し落とすことです。
色が様々なのには、少し驚きましたが、それも興味深いことです。トリが何を食べた
か、なんとなくそれで分かるものですから・・・

でも、お気に入りの水色のシャツに、まさに、鶯色のフンをされた時には、憤慨しま
した。薄い水色に鶯色のフンがてんてんと。トリのフンは害ですね。洗っても落ちな
いのです。

あ、あ~っ、憤慨、ふんがい、フン害・・・!!!オヤジギャク一丁あが~りぃ!!

ところで、そのトリ、何のトリかって?

名前が分からないのです。だから「トリ」と、呼んでおります、はい。

私が知っているトリの名前は、カラスかスズメくらいなもので。トホホ・・・

まったく花鳥風月には疎い人間です。

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2010/02/06

梅が咲きました

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

ベランダから隣の家の庭が見えます。

紅梅がきれいに咲いています。

本当にきれ~いな紅色!

あまりにくっきりした紅色なので、お雛祭りのお弁当などに入っている造花の梅とそっくりに見えます。

・・・食べ物を想起しすぎでしょうかね。

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2010/02/05

ごぼうの白和え!?

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

東京では雪が降ると春が近いということなのだとか。

以前、美容家から、2月が一番肌への紫外線が強い、と聞いたことがあります。冬の淡い光に慣れた肌が、紫外線に敏感に反応するために、夏場よりも強く作用するのだとか。今日などは空が晴れ上がっているため、紫外線が射しているに違いありません。それを防ぐためにも、ファンデーションを含むお化粧は必要だと思います。

先日私が行ってきた某国は1年中強い紫外線が降り注いでいますが、日本製のファンデーションが根強い人気でした。

ファンデーションは、肌に合ったトーンのものを塗るのが基本ですから、日本人用に開発されたトーンでは、土地の女性たちの肌色となじみません。

ところが、女性たちはあえて、日本人用に売られているファンデーションを塗るのが、ステキと思っているようなのです。その上に真っ赤な口紅と頬紅を入れて、お顔は華やかです。

肌に合わない色のファンデーションを塗ると、さて、どうなるかといいますと・・・料理にたとえるなら「ごぼうの白和え」みたいに見えてしまうのです。

料理の「白和え」といえば、にんじんを豆腐であえた一品です。
白い豆腐の合間に赤いにんじんが顔を出す。色もきれいです。

にんじんと豆腐の出会いならぬ、「ごぼうの白和え」は、一つのファッションかもしれません。

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2010/02/02

THIS IS IT

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

いま目に映っているのは雪ですが、ほんとのことを言いますと、私の頭の中は、飛行機の中で観た映画、マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」でいっぱいなんです。

透明感のある声、チームを率いる能力、身体能力、ユーモア、そういう総合力があるから皆集まってきていたのですね。マイケルの魅力を私も実感しました。

私の青春はマイケル・ジャクソンだったんだなあと思いました。

ダンスシーンが変わるたびにふと記憶の断片が浮かぶのです。

女ばかり集まってひらいたクリスマス会のケーキの断面だったり、銀座のショーウインドウで飽くことなく眺めたパナマ帽だったり、なくした手袋の片方だったり、ある時期気に入っていたシルクのジャケットだったり。それらを見ているときに、たぶん、マイケルの音楽が聞こえていたのでしょう。そうとしか、つながりが読めません。

細かい記憶は別として、同い年ですからね。時代を共有した親近感を覚えます。

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戻ったら雪が降ってきた!

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

一週間ほど、某国へ行っておりました。

帰国してまもなくこの雪です!
風もなく深々と降り積もりました。
あたりが静かになって、雪もいいです。

かの地では、人に会ってきました。

フィールドを訪ねるというのではなく、特定の人に会うだけのための渡航は、重要なことです。

すぐに結果が出ない「人との話し合い」を重ねながら、思考を深めております。

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2010/01/21

春みたい

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

昨日といい、今日といい、温かいです。
気温だけではなく、空気のにおいとか、霞み具合とかが、全く春そのものです。

春のにおいは全国どこでも似ています。といっても、私は郷里と東京しか知りませんが。いえ、京都も似ていたような気がします。

あ、そういえば、12月に行ったインドのヴァナラシーは、空気が汚れてはいましたが、朝の霞とにおいが少し似ていました。

書いていると、記憶の奥に眠っていた光景がよみがえってきます。

旅をすることは、そのときだけのものじゃなくて、こうして何年かたっても、何かの拍子にもう一度旅を味わえることでもあるのですね。

わずかなお金をためては外へ出てきましたが、光景とにおいをたどることで改めて旅をし直せるかもしれません。

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2010/01/20

気になるおばあさん

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

時々行くファミレスで、また今日も、いつものおばあさんを見かけました。白髪で、毎日同じモンペに似た服を着た、一見ホームレス風。日がな一日ここで過ごしているようです。

先日はこのおばあさんがタバコブースでほかの人と談笑している様子を見かけました。おいしそうにタバコを吸っていました。

なので、単なる「おばあさん」なのだと思います。

考えてみると、ドリンクバーと軽い食事で一日を過ごすなんて、コストがかからず、悪くないアイデアです。若い人の会話を傍らで聞いたりして。

ただし、お店側は負担だと思いますが・・・。

これも東京の一風景です。

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2010/01/17

日曜日のハワイアン

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

日曜日の今日は、朝からとても良い天気です。
風もなく、すっきり晴れ上がって。
午前中、自室でゆっくりしておりましたら、ハワイアンの音楽が聞こえてきました。どこか近所の方が流しているのでしょう。
なんだかうっとりゆったりした気分になりました。

冬だけど、ハワイアンを聴くと、気分も変わります。
ハワイ、行ったことないんですけどね。

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2010/01/16

夕食時間と体重の関係

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

夕食を午後8時前にとるといい、と教えてくれたのは、整形外科のリハビリの先生でした。
昨年の秋、1週間ほど試しました。そうすると、すぐに効果が現れ、やったーっと思っていたのです。この調子で正月も越しました。

さて、本格的にダイエットに突入するべし、と思っていました。

ところが、先週、続けて夜の会食があり。

予想通り、う、・・・悪い結果が。

気をつけよう、甘いものと遅い食事。

特に悪いのは炭水化物。和食は炭水化物が多いので要注意です。私は30歳過ぎてから洋食が断然好きになったし、また、そのほうが体調はいいのです。たんぱく質をたくさんとれるからでしょうか。

しかしです、洋食であろうと和食であろうと、遅い食事は太るザマス。

しかーし、やめられないのよ、人と会うことは。

これやめたら、人間関係まで細っちゃう・・・。

エネルギッシュな人がどちらかと言うと太めなのは、夕食時間と関係があるのではないかしら。

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2010/01/11

おみくじ

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

週末に月山羽黒山からおみくじが届きました。

すご~くいい♪

今年の運勢を明らかにする和歌が、私の願いと非常に合致していて、飛び上がらんばかりでした。

ここで書くとご利益が減るかしら?
ええ―いっ! 書いちゃえ!

世のためと人のためとて幸いを
  願うこころを神は受けなむ

幸いは独り占めすると減るような気がします。
幸いこそ皆で分け合うことで、本当の幸いになる。

でも・・・
対比して、

美味いものは小勢で食え

といいます。

現実にあるものが限られている場合は少人数で分け合いなさいよ、の意味。

これを教えてくれたのは、幼少時に近所に住んでいたおばあさんでした。あれはちょうど、小正月のときでした。私はたぶん、4歳か5歳。りんごなど細々と商っているおばあさんのお家を訪ねて行きました。

火鉢に手をかざしながら餅を焼き、お汁粉を作ってくれて、「スーちゃんにだけだよ」と出してくれたのです。

あたしにだけ、というところが嬉しくて、家に帰っても家族に黙っておりました。外の世界と内(家)の世界を自分の意思で分けて持った初めての記憶です。

もっとも、こういう現実的教えを説くおみくじなんて、ありません。

おみくじにも人の世の道徳というか、品格がありますから。

おみくじはやっぱり綺麗でなくてはいけません。

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2010/01/09

日本海側に雪

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

日本海側は大雪、関東は晴天が続いています。

25年ぶりの大雪と聞いて、当時のことが頭に浮かびました。正月に帰省しようと途中まで行って、足止めをされたような記憶があります。

初めて東京で冬を過ごしたとき、なんだか不公平な感じがしたものです。

東京ばかり晴れて冬に布団が干せて、ハイヒールをはけて、女性はスマして歩いているなあ・・・と。

少しして東京にも雪が降りました。

すると、まあ、よく人が転ぶこと!

しかも、転び方が派手で、頭に傷を負ってしまう人も。

で、思いました。

こんなわずかな雪で転ぶなんて、東京の人って大したことないね、と。

単に(雪に囲まれて暮らす)経験の有無が転び方に現れているだけで、頭脳や性分の問題ではないのですが、地方から出てきたばかりの若者が東京になじむ小さな一歩でした。

そういえば、書いていて思いだしたことがあります。

エルサルバドルに行ったときのこと。ホンジュラス国境まで車を飛ばし、小さな町で車を降りました。アメリカの出稼ぎ者の留守家族に会うためです。

運転手が何かを言ったのによく聞こえず、足を地面につけたとたん、ムぎゅう~っと変な感触が足の底に当たりました。

・・・ナンだろう、経験したことがない感触だなあ・・・。

家から出てきた子どもが笑いをこらえて肩を上下させています。

あ’’―っ!

牛が産んだばかりの“落し物”に、見事、着地してしまったのです。

『地球の歩き方』ならぬ、現地の歩き方が大事なんです。

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2010/01/07

付喪神(つくもがみ)信じる?

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

昨日、使い込んだ洗濯機を“トモダチ”と称しました。

小説家の畑中恵さん風に言うと、それは付喪神(つくもがみ)が宿っているのです。

人間が長いこと使い込んだ道具には神様が宿る。その『長い間』とは、江戸時代では百年の単位でした。

道具をおろそかにしてはならない。道具と道具が作り出す生産物に敬意を持つようにとの、言い伝えみたいなものです。

現代の、しかも電化製品で百年はありえず、せいぜい2年くらいでしょうか。
付喪神も世代交代が激しいです。

逆に、古びると神は神でも疫病神になりかねないのが人間。

働き時、引き時、考えないといつのまにか、「疫病神+貧乏神」化身になっちまいます。

そういう事例、日本には山盛りです。

今度の参議院選挙は、化身の棚卸し、かな?

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2010/01/06

すすぎが1回の洗剤に戸惑う

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

すすぎが1回ですむ液体洗剤を使い始めました。

ところが、洗濯機のほうがすすぎといえば2回と設定されていて、変えられないのです。
しかたなく、手動で止めております。

ハイテクに合わせるためにローテクを使う。

矛盾です。

・・・あ、こういうネタって、Twitterでするほうがいいのかしら?
ブログとTwitterの使い分けが良く分かりません。

ところで、洗濯機を買い換えればいいということにならないのが、わたしです。

もったいない!

だってもう長年連れ添った “トモダチ”ですから。

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2010/01/02

神社でペットのお守り

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

元日と今日、2箇所の神社へ行きました。

昨日行った神社は、ペットのお守りとかバンダナとか売っていました。

今日行った神社はマンションにするとかで、工事現場の一角でお守りなど細々と売っていました。巫女さんに話しかけると日本語がたどたどしい中国の方でした。神主さんが着物の合わせ方や結び方などを、皆の前で教えていました。

少しずつ、何かが変わってきています。

通りには昨日に比べて人が出ており、ざわめいている感じです。スーパーなどが今日から開いています。

歩いていると、アラ、こんなところにこんなお店が、アレ、ここにあったお店が消えている、そんな発見をしました。

見知った人とすれ違い、新年のご挨拶を交わしました。

知っている人がたくさんいて、思いだすお店がたくさんあって、そこでの変化に気がついて、そういう地域に自分が暮らしているのだなあと、思います。

「暮らし」とは、言葉を交わしあう人、なじんだお店、樹木、植木、昔ながらの看板などで構成されているのですね。

こういう地域を持つことができて、よかったと思います。

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2010/01/01

新年あけましておめでとうございます

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

新年明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします

東京のお正月は静かですね。

歩く人も少なくて、ひっそり。

ゆっくり過ごしているうちに、初詣に出かける時間が遅くなってしまいました。

昼を過ぎていますが、これからでかけます。近所の神社に。

神仏とは無縁の暮らしなのですが、社会的な行事に参加することで、世の中に存在している自分を感じることができます。宗教性がない“宗教”とでも言いましょうか。誰もが心安んじて集まるところがあるのは、いいことだと思います。

革命を繰り返すアフリカの国の中には、穏やかな“宗教”が消えてしまいがちです。代わりに、戦闘意欲をかきたてる悪習(惨習とでもいいたくなる酷い習慣)がはびこっているところがあります。人工の悪習と伝統とを混同している例ですね。

年末読んだ、ある方のコンゴについての草稿でそれを知りました。

年が明けて、アフガニスタンの戦線に参加したアメリカの帰還兵の著書を読み始めました。

ほんわりした空気は、もはや、本にもゲームにもネットにもありません。

東京のお正月に、それがあるなんて・・・。

このお正月の空気を良く覚えておきたいと思います。

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2009/12/31

どうぞ良いお年を

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

年の瀬も押し迫った30日の夕方、ようやく年賀状を書き始めました。

大晦日の朝、書き終わりました。

今年はなにやら富士山が見たくなり、絵柄に富士山を入れました。

年賀状を書く間、私が横目にしていたのは、ジェームス・ディーンの写真でした。実は、昨日年賀状を書き始めたときに、これが届いたのです。ジェームス・ディーンのポスターのようなカレンダーです。埼玉県のガラス店経営の女性が送ってくださいました。

パーティでお会いしただけなのに縁を大事になさる方で、送ってくださったものです。嬉しいです。

今年は思いがけず政治をたくさん書いて、反響をいただきました。ソマリアにもっと関心があるかと思いましたが、反応の数では政治に適いませんでした。もしかすると、読者層が違うのかもしれません。

どんな事項に読者のご関心があるか、今後も試行錯誤しながら書いていきたいと思います。

皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

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2009/12/30

来年の干支、トラ

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

来年の干支はトラです。

昨日、デパチカで買いたかったトラ柄のケーキ。家に帰ってからも「どんな味だったのかなあ、買えばよかったなあ」と気になることしきり。ああいうケーキを思いつくパティシエは、きっと型破りで面白いセンスをしていると思うのです。そのセンスに、関心を持ちました。

以前、大学で教えていたとき、黄色と黒と白の柄が混じったブラウスを着て行きました。すると、女子学生が近寄ってきて、「センセー、関西やろ」というのです。

「ちがうよ」と私。

「や、関西やわ。そのセンス。黄色やろ、黒やろ、目立つわ」

「そういえばタイガースカラーだわねえ」

「ちゃうちゃう、東京の人はもっとおとなしいでぇ。そういう柄の服を嬉しそうに着るのは関西や」

「トラみたいでキツイの?」

「すごい似合う。だからヤバイ」

何が「ヤバイ」のだ?と、きょとんとする私を置いて、その女子学生は立ち去りました。

また、あるときは道路工事の現場で交通整理をしているおばちゃまに、呼び止められました。

「おねえさん、そのコート、どこ製?」

「インドです」

「やっぱりねえ、ヨーロッパでもアメリカでもないと思った」

「アラ、おばちゃま、詳しいのね」

「あたしは一日中、人の足元と服を見て仕事をしているからさ。どんな服や靴が流行か分かるんだよ」

一見すると、ファッションに縁がなさそうな人ですが、交通整理は、人を観察して注意喚起を促す仕事です。意外な情報に通じているのだな、と勉強しました。

本や雑誌にはない、世俗の知恵と言うのでしょうか。教えてくれる先生は随所にあり、と思いました。

ところで、お正月は何を着る? 今年は何にも服を買いませんでした。トラ柄のケーキですら買わなかったなんて、シャビーなあ。これから何か買おうかな。

ドカ買いだけはするまいぞ。

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年の瀬の一風景、デパ地下

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

新潟の実家に年賀を送ろうと、デパ地下に行きました。食料品売り場に向かう前に、1階のお化粧品と香水を売っているフロアーを通りかかりますと、んまあ、いい香りです。

良い香りがする場所は私にはアブナイのです。香り好きの私はついふらふらと買ってしまうからです。そのために、使いかけの香水がずいぶんとあります。今日は我慢しました。

意を決して、いざ、地下へ。

エスカレーターで降りていく途中で気がつきました。上階の香りが地下に一切漂ってこないのです。1階にも地下の香りは漂ってはいません。空調にかなり気を使っているのでしょう。デパートの見えない努力です。売り上げが厳しい中で、このような努力を続けることは、立派だと思います。

地方の安いホテルに行くとエレベーターにまで揚げ物の匂いが漂っていることがあり、思わず顔をしかめることがありました。

今日行ったデパートは和菓子と洋菓子が同程度揃っていました。6割以上のスペースを和菓子が占めているデパートもあります。デパートによって店の数、広さの割り振りに特色を出しているようです。

来年の干支にちなんでトラ柄のケーキがあって、買いたかったのですが、賞味期限が短すぎてあきらめました。残念!

遊び心がある商品を送りたかったけれども、やはり賞味期限が第一です。結局、前にも買ったことがある焼き菓子を買いました。なんだか、フラストレーションがたまっちゃいました。

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2009/12/27

アメリカの航空機、爆破未遂

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

デトロイトに向かっていた航空機の乗客がテロ未遂に終わった事件は、改めてテロの恐怖をよみがえらせました。

最初に犯人に飛び掛っていった人は偉い!

これが日本人なら、逃げるばかりなのではないかしら。

でも、飛行機の中は逃げるといっても逃げ場がない。

逃げ場がないなら阻止するしかないな、などと考えているうちに爆破されてしまいます。

すぐに飛び掛る、というところが大事です。

さて、私はできるかな?

もちろん!当たり前!やります!

でも体が思い通りに動くかどうかは別問題だったりして・・・。

やっぱりエクササイズしなくちゃ。

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2009/12/25

ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

なんだか昔話をするようでいささか気が引けるんですが、クリスマスシーズンになるといつも思い出すことがあります。

ルーマニアを長く支配していたチャウシェスク大統領です。

首都に御殿(大統領府)を立てて、君臨していたのが、ベルリンの壁が壊れた年のクリスマスに民衆によって殺されました。

20年前のその日、私は欧州の避寒地、スペインのカナリア諸島に滞在しておりました。滞在型ホテルでのんびり過ごしていたのです。

当時流行っていたのが、「ランバダ」というダンス曲。少し哀調で、単調なんだけどリズムがある曲でした。ひっきりなしにランバダがかかっているラジオの合間に、DJが「チャウシェスク」「チャウシェスク」と興奮した声でいっている。

スペイン語が分からない私にも、ルーマニアで何があったか直ぐに想像がつきました。プールサイドのバーテンダーに「チャウシェスクが殺されたのね」というと、そうなんだよ、とランバダに合わせて腰をひねりながら彼は答えました。

翌日、敷地内にあるショップで新聞を買うと、1面に大統領夫妻の遺体の写真が大きく掲載されていました。インターネットもない時代でしたので、画像を見られるのはテレビと新聞だけでした。

ランバダと血の色、クリスマス、青い海。

原色の記憶です。

子どものとき三島由紀夫の首写真を見ました。あれは朝日新聞でした。

でもその記憶はモノクロ。写真がモノクロだったこともありますが、当時の私には歴史を重層的に記憶する複数の引き出しがなかったのでしょう。

音楽という引き出し、滞在する環境を自己選択できる財力、殺される者と殺す者双方の心情を色にたとえる表現力がなかった。なぜ自分がここにいて、なぜそれを見ることになったか、何が重大かを斟酌する能力です。

そういうものを身に着けたと自覚したあの日、ジャーナリストとしてやっていけるかもと、感じました。

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イヴのファミレスで

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

クリスマス・イヴの夕方、都内の某繁華街で打ち合わせのため、例の格安なファミレスに入りました。

ふと気がつくと、初めはわんさといた若いカップルが、いつの間にかほとんどいなくなってしまいました。時刻は6時半。

そうか、6時半くらいから何かがあるのだな。
というか、パーティー開始がそれくらいということですね。
無理してパーティー気分にならなくてもいいのに。
イヴでそういう経験したんだ?
クリスマスの本番はイヴじゃなくてクリスマスの日なんですよ。

冷ややかに、すいたファミレスを見渡して、講釈を述べるわれら二人。
こういう話はわざと半角ずらして答えるのが大人というものです。
なんのことはない、わたしども、浮かれ気分になりようもない年齢になっちゃったということです。

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2009/12/21

暖冬だったはずでは・・・

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

寒いです!

秋ごろの予想では、今年は暖冬、ということだったのに。北海道も日本海側も雪は降り積もり、東京もさむ~くて、顔がぴりぴりします。

昨晩アメリカ・ワシントンDC在住の友人に電話をしました。議事堂前でスキーを楽しむ人の写真をネットで見たので、お見舞いのつもりでした。
日曜日の朝、もう雪はやんだようでした。
「自動車が通らないから静かです。家にいる分には雪もいいですね」
とのことでした。

クリスマスもなんだか地味になりそう、と彼女は言います。自国のことで精一杯で、ほかの国なんてかまっていられないのは、アメリカも同じだとのこと。

話しているうちに、三好達治の詩「雪」の一節を思い出して、さらに連想(パロディ詩句)しました。

アメリカを眠らせ、日本の財政赤字ふりつむ。
日本を眠らせ、アメリカの財政赤字ふりつむ。

三好達治が想定した太郎と次郎ほどには、日米は兄弟になっていません。
兄弟愛はbrotherhood
総理が唱える「友愛」はfraternityと訳されていますが、側近の民間の有名人はbrotherhoodといいます。
「雪」にこめられた人権思想、平等の精神を考えてしまいました。

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2009/12/20

カシミールといえば

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

昨日、カシミールを書いて思い出したことがあります。

先月、知り合いのインド人が来日したので、会ったのです。1979年から日本の自動車関連企業と合弁するなど、技術と資本の両面で日本と深く結びついている、その道では著名な方です。

彼は、カシミールは4月5月がいい季節だから一緒に行こう、是非休みを取れ、と誘ってくれました。何度か行ったインドでカシミール・カレー、カシミール・ナンに親しみ、私がすっかりほれ込んだことを知っている彼は、興味があるところに実際に足を踏み入れるのが理解する一番の早道だ、俺が連れて行ってやる、と言うのです。

でもそのころには日本との自動車ビジネスが再興して忙しいのでは?と言う私に、
時間は作るもんだ!と、胸をたたいておりました。
明るい顔の、温かい人柄の紳士です。

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2009/12/19

群発地震です

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

昨日、地震が何度かありました。早朝の地震のときは、少し前にいったん起きたのですが、まだ起きだすには早いかなと思って、再び床に戻ったばかりでした。
冒頭の「グラっ」で、これは結構大きいなとわかりました。震度は立っているときより、横になっているときのほうが正確に、そして早くわかります。

私はかねて、神奈川県か静岡県の富士山と海が見えるところに住みたいと思っているのですが、唯一実現をためらわれる理由が、地震です。家屋倒壊、津波、生活インフラ寸断…などと想像してしまい、セカンドハウスくらいにしておいたほうがいいかな、などと逡巡しています。実際には建築技術が進んだ近代ではありえないのかもしれませんが。

地震といえば、東チモールに出張していたときのこと。当地で地震がありました。
そのときは昼寝中でした。揺れを感じて直ぐに、震度2と診断した私はそのまま横になっていたのですが、ホテルの従業員たちが、まさに、鍋釜放り出して、ドンガラガッチャーンの音と共に、ギャーギャー叫びつつ通りに飛びだしました。すると今度はキーっと鋭い音が聞こえて、別の種類の叫び声が。あわてて窓から外を見ると、飛び出した一人が車に接触して、あわや大事故という様相でした。

あまりに騒がしくて昼寝を続行できないので、階下のロビーでお茶を飲むことにしました。降りて行くと、ホテル自慢のロビーの人造柱に亀裂が。今度は支配人が大声で叫ぶというか、嘆いていました。

たった震度2でこうなのか、と逆に驚いた私でしたが、その後、インドネシアを襲った大地震と津波がどれほど衝撃を与えたか、なんとなく分かる気がしたものでした

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2009/12/15

熱を出しまして

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

熱を出しまして。

日曜日から頭が痛いなあと思い続け、午後の遅い時間になって熱を測ったところ38度でした。
平熱が低いほうなので、私にしては結構な高熱です。

でも新型インフルではありません。
思い当たるのは、いつもの癖で、寝床で本を読んでいるうちにうとうとしてしまい、寒いなあと目が覚めた日が幾度かあったことです。

そのようなことから、水曜日に予定していた日経ビジネスオンラインの記事を延期していただきました。読者の皆様ごめんなさい

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2009/12/13

あるNGOの感謝の集いで

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

土曜日の12日午後、十数年前から良く知っているNGOの感謝の集いに出てきました。

割とよく顔を出しているNGOではあるけども、皆が集まっているところを見てみると、メンバーの入れ代わりが激しい。創立当初からのメンバーは同じなのだけれども、途中入ってきた人たちは皆いなくなり、この2年内に入ってきた人ばかりでした。

人が入れ替わって、知恵と経験が失わなければ良いが、それでも事務局長など重要人物は不変だから大丈夫かな、と案じつつ、帰宅すると、ある方から喪中のお葉書が届いていました。どなたにご不幸があったのだろうかと思いつ、肩書きに目が留まりました。あるメディアの専務になっていました。

いつの間に専務になられたのだろう。大阪でお目にかかったのは4年前のことでしたが・・・。

私の肩書きはこの20年間変わりません。出世も昇進も降格もない。書きたいことだけを書き、人を訪ねて歩く毎日です。

でも、当たり前のことながら、普通の人は違うのです。出世も昇給も望むのです。肩書きは変わるのが当たり前。いえ、変えるように努力するものです。

NGOの若い人たちが新たな地位を求めて出て行ったり入ってきたりするのは、至極当然のことです。いつまでも同じでいてほしいなどと思うのは、一ファンの心情でしかなかったなあ。NGOの皆さんゴメンね、とぼそり、謝りました。

一枚の喪中葉書は、私を、遊びほうけているうちに日がとっぷり暮れた秋の夕方みたいな気分にしました。

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2009/12/08

ソースによるファミレス識別法

ときどきファミレスに行きます。
今日も人と某ファミレスでお昼を食べました。

ファミレスでテーブルに着くと、何気なくメニューをパラ~っとめくる癖があります。
いつの間にかついてしまった癖なのですが、考えてみますと理にかなっています。なぜなら、そのファミレスの特徴が「色」になって現れるからです。「色」の特色を見ると、ファミレスのおいしいメニューが特定できる。

今日行ったファミレスでは、こげ茶色が目に付きました。
デミグラスソースです。
そうか、ここはデミグラスソースが自慢なのね。
そういえば、なんとなーく、濃い空気がフロアーに漂っている。
おし、デミグラスソースを使った食事を注文しよう、と思いました。

ほかの超安いファミレス(イタリアンレストランと自称している)では、濃い空気ではなく、「塩」味の軽さが漂っています。
実際、そこのメニューは塩味系が多いのです。
ソースつくりは案外コストがかかるのかもしれません。

結局、デミグラスソースを使ったハイカロリーのセットメニューを食べてしまいました。
私の「ソースによるファミレス識別法」、体にはあまりいいことないのかも・・・しれません。

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2009/12/04

正月と文字

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

この間、「正月に読ませてもらいます」と言った編集者の話を書きました。お正月にまとめて文字、つまり本を読むのは編集を仕事にしている人だけではなく、普通の市民も同じです。

以前、年末に新潟の実家に戻るため新幹線に乗ったときのこと。乗換駅でキオスクのおばちゃんが新聞を山と積んでいる。

「うわ、おばちゃん、こんなにたくさん新聞仕入れて売れるの?」と私。
おばちゃん、金歯をのぞかせながらニタリ。

「ナーニ、今に見とれ。夕方には全部なくなるわ」
解説してもらうと、こういうことでした。

正月に皆家にいて文字が読みたくなる。テレビはつまらないし、ゲームなんて子どもがするものだし。コタツに入ってありとあらゆる新聞を読みふけるのだそうな。いつもは買わないスポーツ紙、タブロイド版の夕刊紙。全種類1部買っていく。そういう人が相当数いる。小説もいいけど、新聞のいいところは記事が長くないから読みやすい、のだとか。

「おばちゃん勉強になりました。ありがと」

「アー、いい年をね」

そんな話を思い出しました。

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2009/12/02

オンラインメディアだから書けること

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

本の注文があって出版社の亜紀書房に電話をしました。新しい編集者と初めてお話しました。

日経ビジネスオンラインで書いている定期コラムを読んだその編集者が驚いていわく、「吉田さん、金融、経済も、国内政治も書くんですね」
そうか、十数年前からお付き合いさせていただき、これまでの著作を知る出版社からするとそれは奇異かもしれません。

私はこう言いました。
「オンラインメディアだからこそ、金融について日数をおかずに書けるんです。これが印刷媒体だと状況が変わってしまって書けない。メディアによってふさわしいテーマはあると思います。それにNBOは本当に自由に書かせてくれるからありがたいです」

「簡単に読みきれないのでお正月にまとめて読ませてもらいます」と編集者。
お正月を意識する時期になりました。

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2009/11/26

Twitter始めたんですが・・・

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

昨夕、Twitterを始めてみたのです。
始めてものの3、4分で5人のfollowerが現れ、驚き、あわてて名前を変え、非公開に設定しなおしました。自分がフォローすることばかりを考え、フォローされることの意味が良く分かっていなかったのですね。
Twitterの怖さ、伝播力を痛感し、皮膚がぴりぴりします。
著名人はお名前をはっきり出して公開しておられる方がほとんどのようです。その度胸に感服です。

私は・・・度胸ができたら公開に設定します。

私がTwitterに関心をいだいたのは、実はこのごろのことで、イランで起きたデモについて現地のある方に電話をしたとき、「Twitterで人々が情報交換している」と聞いてからです。当局が情報統制してもしても、現れるTwitterって何だろう、と思ったのです。
その時の私の記事は「改革派も反米。イラン騒乱を生んだのはSNSだった?!」NBO6月23日公開です。

人の息遣いが聞こえてくるインフラ、
インフラがもたらす人間の力、
否、インフラに息を吹き込む人間の活力、
大衆向けインフラの汎用性、
その伝播力、
そんなものを感じます。

遠いイランの騒乱がすごく身近に感じられました。
私はまだおっかなびっくりで、イランの人々ほどには使いこなせませんが・・・

情報に飢えているソマリアの人々はどうしているのだろう。
タリバンに脅されてわずかな財産を巻き上げられている人々の声は、どうやって拾い上げているのだろう。そんな取り組み、あるはずもないですが。

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2009/11/06

日経BPネット「今週の必読」に選ばれる

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

11月5日公開の日経ビジネスオンライン(NBO)でのコラム 「民主党の「脱官僚」なんて口ばかり」 が、日経BP本社のホームページ、BP netの「今週の必読」に選ばれました。

日経が有するあらゆるインターネットメディアのコラムから、毎日一つだけが選ばれ
て入っています。

参考まで、11月4日は大前研一氏、11月2日は小宮一慶氏、10月30日は田原総一郎氏が入っています。

多くの方から読んでいただけるだけではなく、プロの編集者が着目してくださったことに嬉しさを感じます。

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2009/10/04

中秋の名月だった

土曜日の夜、住まいの一室からぽっかりと月が出ているのを発見。月や星を見る習慣がないので、いつもどのあたりに月が出ているのかさっぱり分からない。しかし、その窓から月が丸く大きく出ているのを見たのは初めてだった。

へえ、ずいぶん丸い大きな月だねえ。
通常は、乱視のために月が幾重にも見えるのだが、昨日の月はそれでもくっきりしていた。

おお、そうだ。
夕方栗饅頭を買ってあった。あれを食べよう。
パクリとやると、丸く大きな栗が出現した。その黄色を月にかざして、こっち(栗)のほうがいいな、とつぶやいた。
鳩山夫人は金星を食べたらしいが、私は“月”を食べたぞ。

さて、翌日の日曜日、新聞をめくったりwebでニュース検索したりしていると、10月3日は中秋の名月だった、とあった。

花より団子、月より饅頭。我が歳時記は食にある。

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2009/09/28

秋刀魚

こんにちは! 吉田鈴香です

自衛隊の駐屯地取材で風邪を引いて、それが長引いて今日に至っています。ブログも、こんなにご無沙汰してしまいました。

熱は全くないのでインフルエンザではありませんが、咳き込む日が数日あり、在宅しました。シルバーウイークなど他所事でした。

その間、絵を架け替えたり、机の周りを整理したりして、時間を過ごしました。「なぜこんなものを今まで手元においていたのだろう」と、思うような書類や写真が出てきて、不愉快になったりして。

今日は久しぶりにスーパーへ出かけました。

秋刀魚の季節になっていました。氷に秋刀魚がつかっていて、買い物客が自分で品定めをして袋に詰める趣向になっていました。

ああ、秋刀魚ねえ~と思っていると、ある老女が秋刀魚を手づかみして目元近くに寄せ、気に入らないのか、ドサリと氷が張る箱に“捨てて”は、また底のほうへと手を突っ込むことを繰り返していました。

哀れ、秋刀魚。

身は傷つき、ヘニョヘニョになっているのがたくさんある。
3割以上はもう売り物にならないなあと、秋刀魚を買う意欲が消えてしまいました。

以前にも何度もこんな光景を目にしていますが、共通点は、そうする買い物客は全員、視力が良くないようでした。どれをみても、たぶん、良い秋刀魚か悪い秋刀魚か判断できないのではないでしょうか。

老女を見ると、身なりからそれ相応の暮らしをしているのが分かります。でも、他の人も食べる魚を、投げて元に戻すしぐさは、まともな教養がないことを感じさせます。老女の服は跳ねた水で少しぬれています。この人にも昔思いを寄せてくれた人だっているだろうに。躾てくれた親だっていただろうに。

たぶん、この女性の家には欠けた茶碗がたくさんあるだろうな。それも、結構な銘柄の茶器、食器が。ふちが欠けたりヒビが入ったりしているブランド食器に、こうして品定めをした秋刀魚を乗せて食べるのね。

私の経験では、モノの扱いや茶の入れ方、挨拶は、家庭教育に起因しているところが大です。老いてそれが前面に出たとき、その人が取り返しのつかない日々を送ってきたことを周囲に知らせます。

そう思って歩き始めたとき、ふと、ひらめいたのです。

袖机に十数年前の写真と切抜きを入れたままにしていた自分に腹が立った理由が何か、みえたのです。私は、取り返しがつかない日々を送ってきたのではないか。進歩のない毎日を過ごしてきたのではないか。あの時、直感でそう思ったのです。

スーパーの買い物袋を両手に、私は猛烈な勢いで帰宅しました。もう1分たりとて無駄にしてはならない。無駄にすごしていい時間(余裕)を先に食べてしまったのだから。

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2009/08/28

ジェニファー・ロペスの曲は演歌に似ている

この一、二日、ジェニファー・ロペスをなんだか無性に聴きたくなりました。美しい容姿の女性歌手です。

昨晩、そんなことで仕事をしながら聴いていました。

そこに、海外滞在中のある方からメールが届きました。
「NBOの政治シリーズの記事があんなに読まれるなんて、すごいことですよ」と。
ありがたいことに、海のかなたから私のコラムを読んでくださっているようです。

気軽な読み物でもない、政治批判の記事が7本ともヒットを飛ばしました。とくに、8月17日発表の「みんなの党って、案外いいんじゃない?」は、ロングランでした。

急に、音と脳と文字とが結びつきました。そして、ひらめきました。
ジェニファー・ロペスを「あぁ、これは演歌だ」と、思ったのです。
それは、「(Can’t Believe)This Is Me」でした。気合の入った曲です。

私は演歌を好きではありません。全く聴きません。それがどういうことだが、演歌の心が分かったような気がしたのです。それは、「気合」です。

演歌に付きまとう、悲しみだとか寂しさとか、そういう能書きはどうでもよろしい。不要。
なんでもいいから、気合をこめて歌う。そういうことなんじゃないかな。

でも、伸びやかな肢体のジェニファー・ロペスと、ダンゴ三兄弟みたいな天童よしみが同族に入れられるなんて、ありえな~い!ですが。

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2009/08/17

NBO(日経ビジネスオンライン)記事公開にあたって

こんにちは! 吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

本日、公開しましたNBO(日経ビジネスオンライン)の記事、「みんなの党」って案外いいんじゃない?「参加型政党」マニフェストを独自に採点 に対して、いろいろなお声を頂戴しております。

ありがとうございます。

政治シリーズのためにこれまで記事を書いてきたつもりではありませんでしたが、今回の記事を書くにあたり、論点がことごとく、マニフェストと合致していたのでした。

これは驚きでした。

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2009/08/01

褒め言葉「底知れない」

こんにちは!吉田鈴香(Suzuka Yoshida)です。

日経ビジネスオンラインの原稿が公開された今週火曜日、ある人を訪ねました。

昨年ある会合で知り合った男性です。
よくボケをかます方で、私が質問をしてももっぱら駄弁を振るう。折を見ては引き戻そうとしますが、またまたわき道へそれる。

私は適当にしゃべらせることにしました。そのうちこの方も自分の駄弁に疲れて、聴く側に回るだろう、と思って待つことにしたのです。体力では私のほうが上回っているのだから。

その時が来ました。

「吉田さんは底知れない人だ」
と、真顔で私をじっと見ました。

私も見返しました。

どれほどかわかりませんが、双方の息遣いも聞こえぬほどの沈黙が続きました。

沈黙を破ったのは私でした。
「20代のころ、同僚から『スズカは限界が見えない』といわれました。また、先週は以前インタビューしたことがある女性から、『スズカさんは人の話を一杯聴いてきたとありあり分かる顔をしている』といわれました。○○さんは、『スズカさんは一本気であり一本木だ。独立した生態系を持って大きくすっくと立っている。小さな木は集まって森を作るものだが』といってくれました。今日は『底知れない』という言葉をいただいて、私は嬉しいです。どれも私が何より好む褒め言葉です」

この方は「底知れない」の意味を語ってくれました。
「人は皆、自分の得意分野を守って生きている。分野が細分化されている現代では、自分を守るために自分の領域を囲い込む。なのに、鈴香さんはあらゆるテーマをあらゆる角度から書いている。底が知れない。幅も見えない。それに、文章は理詰めなのに会って話すと、わたしを非難することなく、じいっと聴く。わたしをよく見ていることが分かる。わたしは鈴香さんにどこかへ連れて行かれるような気持ちになってくる」

ようやく「連れて行かれる」気になったこの方と、話ができました。

そうか、どこに連れて行かれるか分からないけどどこにでも行こうじゃないか、と思ってもらえる人がいいインタビュアーなんだな。

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2009/06/09

頭の中こそ、完璧な自由 それを現したのが日経ビジネスオンラインの原稿

ソマリアの情報収集に奔走する一方、私は、日経ビジネスオンラインで執筆するための経済と金融の研究をずっと続けています。

こちらは一切の感情、予断を持ち込むことなく、考える、論点の明確化、調べる、考える、意見交換、論点再考、調べる、執筆、意見交換、考える…のサイクルを延々と繰り返しています。

一日のうち、「考える」に最も多く時間を費やしています。

食事をしていても、お風呂でもどこでも頭の中はフリーなんです。これほどの自由はありません。どこにいようと、何をしていようと、自由はある。

外でもない、わが頭の中にある。それを実践できるだけの自信がついた。外からいかなる圧力が加えられようと、何人(なんぴと)も私の頭の中まで変えることはできない。

人生において何が最大の成果かと聞かれたら、間違いなく、私は「自由に遊べる頭を手に入れたこと」と答えます。

それをプリントアウトして実在化させたのが、私の日経ビジネスオンラインの原稿です。

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2009/06/01

世界万華鏡 日本ブランド

 世界各地を取材と調査で回る仕事をしていて痛感するのは、「日本人」であることのありがたみである。ありがたみは、文字通り「有り難い」。実存すること自体が難しいすばらしい有り様を意味する。「行きたいなあ」と、皆さん関心を示してくださる。

まずは途上国と紛争地を回って言われる「日本人」のイメージとは、
1.傲慢さなく親切で礼節を持つ人々。よく話を聴いてくれる。
2.高度な文明と高い技術力を有し、クリーンな国土、澄んだ空気の中で暮らしている
3.平和な軍を持っている。
4.女性が可愛い。

先進工業国の人々からは、
1.民主主義国の人々だから意識が近く、意見を共有できる。
2.礼儀正しい。お辞儀をする。
3.電化製品、消費製品の品質がよく、製品も人も信頼できる。
4.平和で軍律が厳しく行き渡っている軍を持っている。
5.女性には、社交的でどんなところにでも入り込み、現地社会に溶け込む人と、保守的で夫の後ろから歩くタイプと2種ある。男性は皆画一パターン。

 このように良いイメージを持っていただいていると、取材をする私には大変好都合である。警戒心なく話していただけるからである。3月~4月にかけてソマリア関連の取材のため周辺国を取材して回ったときも、非常に協力的な人が多く驚いた。帰国後も頻繁に電話とEメールの交換をしているが、「日本人のスズカだから」と相当踏み込んだ話を語ってくださる。

 私は考えた。さて、これは私が日本人だからだろうか、女性だからだろうか、それとも私だからなのか。たぶん、3つともがよく作用しているのだろう。

 私は外国の方と会う時には、必ず日本流のお辞儀をする。いったんピンと背筋を伸ばしてから、腰を折るようにゆっくりと頭を下げる。先方は大変感激し、あわてて同様に頭を下げてくださるが、上半身を傾けるまではできない。お辞儀の仕方をご存じないからである。私はこのお辞儀の間、先方の頭のてっぺんからつま先までじっくり観察する。これで大体の人物像は分かる。頭を上げながら用意した質問の順番を組み替え、質問第1号を決める。

 ところが人によって、お辞儀をされて逆に威張る人もいる。自分が偉いと勘違いをするのだ。お辞儀への反応で、その人の人柄と教育レベル、日本人へのイメージを窺い知れて面白い。

 情報(諜報)活動が大事だと訴える方が往々にして、強面の人相をしていることがあるが、それは私の経験では本物の情報専門家ではない。本当の情報専門家は実に社交的、明るく笑顔である。また会いたい、話したいと思わせる。良質の製品と上品な人間を生む国、あこぎな商売をしない正直な国。そのイメージに守られて私は仕事をさせていただいている。

この原稿は社団法人国際フレンドシップ協会発行のthe Communicatorで執筆したコラムです。

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2009/05/28

コメントより

先ほど国際協力銀行が政界への工作のために公金を流用したとの告発文書をいただきました。

ありがとうございます。

本当ですか?

本当ならば、犯罪なので、警察におっしゃるのが良いと思います。

メルアドが記載されていませんでしたので、こちらからご連絡できませんので、ご了承ください。

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2009/04/30

ソマリアシリーズの意図について

みなさまもご存じのとおり、現在、NBO(日経ビジネスオンライン)で、連載を執筆しております。

この連載では、原稿を発表すると同時に、その原稿についての反応を得て、また記事に反映させると言う、新しい試みをしています。

私の原稿がエサになって誰か知らない人が批判したり、新しい見解・情報を寄せてくれることを予め期待して、知人たちに原稿を英訳して渡しています。

つまり、現実と、調査と、記事公開とを連動させているのです。

「調査」とは、現地にいって調べたり、ネットで静止画を見るように調べることだけではありません。記事によって最新の情報を釣る「調査」を仕掛けたのです。通常は取材をして分かったことをお伝えすることが報道ですが、ソマリアのように事実が全く見えない国を調べるには、メディアを調査の場として使う方がいいと思いました。

現地ではむしろ、人脈を築くことと、ポイントがどこにあるかを確かめてくるだけで、常に動いている現実をずっと追いかけるには、こちらも動画のように動いて、ある程度の期間をさかねばなりません。ですから、書きっぱなしではなく、テニスプレーをするごとく、往復しようというわけです。

今回、ソマリアシリーズ(ソマリアに続く“武器街道”を行く)について、その反応、「あたり」が先週ありました。反応してくれたのは、アメリカの組織の人です。

会ったこともない人、声を聴いたこともない人でしたが、メールのやり取りで情報を交換しています。今日出社すると留守電にメッセージが入っていて、「You can talk with me」と言っておられましたが、声から想像するに年配の方のようでした。

私の目の付け所がその方のポイントに触れたようです。

また、私が反論して「従順な女性でないことをお許しください」と言いましたら、「勇敢さと大胆であることを、私たちも好んでいます」と言ってくれました。

こういう言葉を見ず知らずの人と交わせるとは、嬉しいです。これも、同じ問題意識を共有し、かつ、同じ業界にいるからだと思っています。

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2009/02/27

偽装農家と不在地主の本音を表すサイト

他のwebサイトが、日経ビジネス「NBオンライン」で24日に発表した私の記事「ずさんな農地行政が農業の自壊を招く」を引用し、「これぞ偽装農家の典型例」と、茨城県の事例を紹介していました。

昨年4月にTBSの番組が、農家側の肩を持つ趣旨で放送したようです。
首都圏に近い農地の姿を良くあらわしていると思う事例です。

これでは行政の予算はいくらあっても足りるわけがありません。

皆様からご意見頂ければありがたいと思います。

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2009/02/25

日経ビジネスオンライン掲載コラムについて

こんにちは!吉田鈴香です。

昨日、2月24日火曜日に発表した「吉田鈴香の『世界の中のニッポン』」は、多くの読者の皆様に注目していただいて(アクセスランキング2位)、嬉しいです。

農業は最近とても注目を浴びていて、今週発売の週刊誌、月刊誌でも取り上げられているのを散見します。私の対談記事はそれとは内容が大いに違って、農政批判、偽装農家批判です。

神門博士は「偽装農家」と言う言葉の生みの親であり、農業を専業としない農家には大変厳しい方ですが、農業には非常な愛情をお持ちです。

後編は来週の同じ火曜日になると思いますので、皆様には、引き続きご関心を持っていただけると嬉しいです。

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2009/02/13

マイナスしてこその「美人」―美人妻談義から

先日60代以降の男性ばかり数人と食事をした。

一時、皆で互いの奥方の美貌を褒め称えあう一こまがあった。

「○○さんの奥さんはとてかわいらしくて、僕はこっそり見に行ったもんですよ」「お宅の奥様は楚々としていて、品がある」と。奥方様は皆、60代、70代だ。

一つ一つに、ほう、ほう、と感心して聞く私。内心、どうか私の容姿に言及しないようにと祈った。いくつになっても容姿を問われる女性。大変なプレッシャーを生涯受け続けるのだ。理不尽だなあと思う。

一方、容姿が人柄を表していることは、確かな事実だ。性格、考え方、生き方が容姿を形作っている。若いころは誰でもそれなりの色艶があるが、それが抜けてくる30代半ばになると歴然と現れる。経済力が身につけるものも左右するので、ますます「輝く」「しょぼい」の差が生まれる。

お化粧と洋服にお金をかけていれば良く見える、というものでもない。マスカラをたっぷり盛りラメも降りかけたお化粧に、流行の服も着ているのに、真っ赤なバッグに交通安全のお守りをつけている女性。お化粧も服も高価そうなのに蟹股猫背で歩き、歯が汚く口をあけるたびに涎と黒い歯が見える女性。これは実在の30代後半の日本女性だ。どちらも海外の大学院を出た優秀な人だったが、ご両親がどこを大事にして育ててきたかが見えて、興味深い。(もしかして、「ブラック・ユーモア」のネタになるかも)

彼女たちはプラスすることばかりを考えてきたようだが、マイナスすることを忘れている。

皆どこかで誰かの影響を受けながら「自分」を築いている。無意識に身についたものの中にこそ、その人の生きてきた環境が映し出される。はたしてそれは、映し出してかまわないものなのか、消したい、変えたいと思うものなのか、時々は姿見で全身をチェックしたほうがいい。強調したいところ、消去したいところを、取捨選択することが「自分作り」なんじゃないかなあ。

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2009/01/15

世界万華鏡 食は奇妙な文化交流3

日本では家族がばらばらに食事をとる「個食」が珍しくなくなっているようだが、世界の常識はやはり「家族揃って食事をする」のが、一般的だ。なぜなら、それが幸せを実感するひと時であるし、また、それが家族を一体化させる重要な役割を果たしてくれているからである。特に夕食に、家族団らんの思い出を持つ人もいるだろう。私もその一人だ。夕食時に台所から上がる湯気、香気、温かい皿などなど、「夕食」といえばそれらの温かさを気配で覚えている。家族が食事を共にすることが習慣として根付いていることは、健全なる社会がある、ということだと、私は思う。
 実はこの「温かな気配」が命の危険につながる地域がある。世界の紛争地だ。暖かな気配に誘われて人が集まる、ということは、警戒心を解いている人間がまとまった数で存在している、ということ。食事を横取りしよう、人間を拉致しようと思う勢力には好機だ。
アフリカに、シエラレオネという小さな国がある。北海道ほどの大きさの国だが、1989年から12年間内戦をしていた。私がシエラレオネを訪れたのは、内戦も終盤の、国連がミッションを展開し始めたときだった。

シエラレオネはピーナッツが特産品の国。農村部をPKOの兵士らの護衛の下訪ねると女性たちがピーナッツを頭の上のかごに満載して売りにくる。大きさがまばらで、萎びたもの、曲がったものが多く、美味しそうに見えない。それを塩気もつけずその場で食べる気がおきなかった私は売り子さんとお話だけすることにした。

私「紛争中でもピーナッツは採れるんだね。煎っただけではたくさん食べられないよ」
女性「ここいらじゃピーナッツは料理にするのさ。煎って食べるだけじゃないんだ」
私「へえ、この近くで作って食べさせてくれるところはある?」

女性「ないよ。料理なんかしていたら襲われる。鍋も放り出してブッシュに逃げ回っていた。国連軍が来たから私らも村に戻ってきた」

その後、私はゲリラの本部がある家に入った。家には子どもたちがいた。女性らが何人もいる。普通の家のようだ。そこで、ゲリラのスポークスマン(報道官)と話をした。「特別法廷で戦犯を裁くけど、内部で異論はないですか」「現地住民の安全を図るためにゲリラ軍兵士をどう教育していますか」などと私が質問を繰り出し、それにスポークスマンが迅速に答える、という場面が続いた。

途中から、ごっつんごっつんと音が聞こえ始めた。定期的な間合いがある音だ。それまで、じっと私の目を見つめ質問に聞き入りながら考える風であったスポークスマンの目が、ちらと動いた。この切れ者のスポークスマンは、ごっつんの音に何を想ったのだろう、と関心がわいた。一方、私も、とっさに、日本のすり鉢を想起した。母の手伝いで夕食用にくるみをすりつぶしたことがあったなあ、と。

インタビュー後、手洗いを借りたいと申し出ると、かまどがある場所を経由して案内してくれた。かまどの横で、女性が杵で石臼をつついている。ピーナッツだった。(つづく)

※この記事は、国際フレンドシップ協会発行の「Communicator」1月号で発表したものを、協会の許可を得て転載します。

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2009/01/12

繭玉のお福の面

 私の実家では正月飾りの一つに、繭玉を作っていた。柳の枝についたばかりの餅を繭玉くらいの大きさにして着け、餅の重みでしなった枝にさらにお面など飾りを結んで玄関先におく。1月7日を過ぎたあたりでそれを解体して揚げオカキにして食べる。京都あたりでは「餅花」というらしい。

 ある冬、近隣の町から女性が訪ねて見えたときのこと。女性が玄関の戸を空けた瞬間に、風が一陣家の中に吹き入れ、繭玉が揺れた。すると、繭玉のお福の面が女性の真正面を向いた。女性は、ああこれは嬉しい、と声を上げて喜び、すぐさま一句作った。

  繭玉のお福の面が吾を向く

 正月の風を肌で感ずるたびに、この句を思い出す。

 皆様にも私にもお福の面が向きますように。

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2009/01/03

申し訳ない

私がまだ勤め人だったころ、隣のシマに奇妙奇天烈な御仁がおりました。銀座の蝶と同棲し、会社の金を横領し、会計検査のたびに突っ込まれるのに退社しない。奇抜な企画でクライアントから可愛がられていたから。そして獅子舞のような歯を見せながら笑うのです。今の時代ならありえない人物です。

ある日、彼の奇行に私は「あなたは何を思って毎日生きているのか」と問うと、「俺はなア、毎日申し訳ないと思って生きている」と答えた。こんなどうしようもない人間をよく世間は生かしてくれていると思うんだな。という解説でありました。

好き勝手なことをしている人間の口から「申し訳ない」とは意外で驚いたが、素直な私はそれで「へえ」と納得した。今思えば、そんなことを言われると他人はそれ以上追究できないことを承知で私の批判をかわしたのかな、と思わぬでもない。奇妙奇天烈を極めると、社会の中でのポジショニングを取る知恵も、またあるらしい。

しかし、次第に私自身が少し違う意味で「申し訳ない」と年々思うようになってきた。
それは、本当は何かを果たすために生を受けてきたのに私は何も達成していない、これでは私をこの世に遣わしたどなたか(お天道さん?)に申し訳ない。という気持ちである。
無宗教無信心な人間であるが、この哲学(私にとっては哲学)が私を律している。

で、世界情勢と社会の荒廃を見るにつれ思う。

や、申し訳ない

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2009/01/02

あけましておめでとうございます

新年、明けましておめでとうございます!
これを読んでくださった皆様の2009年が素晴らしい年になりますよう、心から祈ります。

今年は世界中が経済と治安の混乱の極みに陥るでしょう。この時代に私も筆によって世界情勢の好転のために貢献していきたいと改めて思います。

いつも私は思ってきました。自分がやりたいことを追いかけていこう、それが世のためになるから、と。それはほとんど「自分がやらねばこの世にそれを現出できない、それでは申し訳ない」という使命感でもありました。しかし、私自身が実行する権限を持たない限り、人を感化、啓蒙するだけでは達成できないことをここ数年痛感するばかりです。今年は実行できる位置を獲得したいと思います。

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2008/12/29

消費

週末、近所のご婦人と車で年末の買出しに出かけた。運転手はご婦人である。昭和3年1月の生まれというから、まもなく82歳になる方だが、四輪駆動を乗りこなし、戦中戦後を職業婦人としてひとり、生き続けてこられた。

ご婦人は、品を選ぶ際に何かと助言をしてくれた。よく見たほうがいいわよと、ラ・フランスを指で押したりもんだり(!)しながら品定めもしてくださる。大きな物は半分にして分けましょうということになり、二人で品を吟味した。レジで精算すると予定の半分以下の買い物にとどまった。

車中、ご婦人は、街の辻を曲がるたびに、昭和40年代はここは政治家のだれそれさんのお宅で、ほら、あちらのマンションには有名な有閑マダムがいらして、あ、あそこは財界の某さんのおめかけさんが今も暮らしていてだから庭が良く手入れされているのね、と教えてくださる。町並みをそのような情報をもって観たのは初めてであったので、興味深かった。

一方、あなたは若くていいわねえと、しきりにご自分と私とを比較する。ご婦人は私の両親よりも年長で、時代もすっかり違うのだから比較の対象にならないはずだ。話を聴いているうちに、「世代」という概念が彼女にはないのかもしれない、と思い当たった。自分の栄養を注ぎ込む行為をしたことがなく、身内から反発されたこともなく、社会的地位で知恵と情報のやり取りをしてこられたのだろう、と。自分の時間もお金も自分のためだけに使ってこられたのだから恵まれている人だと思う。しかし、ご婦人には先の不安だけが思いやられ、消費も最低限にとどめているようだ。

帰宅後、私は買い物袋を広げて気が塞いだ。買ったのはこれだけか。元来チマチマとした買い物が好きではないこともあり、「まとめ買い」という名のドカ買いをする習いが身についている。我慢できなくなって結局徒歩圏内のスーパーへと出かけた。

私の胸に常にあるのは、小野小町の遺首だ。

我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ

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2008/12/25

「家族」を思う

 オバマ大統領が妻をまずbest friendと呼んでいたのは、大いに理解、賛同する。妻/夫は性的魅力とか年収ではなく、何でも話ができる、つまり、愚痴も冗談も弱音もすべて安心して口にできることが大事なのである。それがあって初めて、公の場で堂々としていられるのだ。

そういう家族内の交流を、身をもって体験してこなかった人たちが、家族を持つ重要性、必要性を感じないまま大人になり、高齢化している。家族同士で点数を付け合ってきたのだろう。一人が居心地よいのは当たり前だ。

私のところに、時々変な相談を持ちかける人がいる。「自分はこの先どうしたらいいのか」というもの。質問と答えを両方聞いているに等しい愚問だ。結局ぐうたらと他人に愚痴を言いたいだけ。そして、自分が恵まれていることを確認して安心する。これらが満たされれば「励ましていただいた」と思うらしい。既婚者がこんな相談をしてきたときには、私もあきれた。連れ合いがいるのだから連れ合いに言うべきことを他人にばら撒く公害である。

 家族の機能が大いに低下していると、非常に感ずる。

 そして、いま、結婚しない、子どもを持たない人たちの増加が、社会不安を引き起こしている。
飯島愛さんの孤独死も、秋葉原の路上殺人も、池田小の殺傷事件も、結婚しない30代40代の増加も、根底には家族愛の不在があると思っている。そして、少子化、暴走老人、社会保障費の増大、税収減…団塊の世代への憤りが私にも深く静かにある。

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2008/12/12

読書

 私は眠る前に最低限必ず1時間は本を読む。どんなに遅くても、空が白々としていてもそうするのは、そうしないと眠れないほどに、習性化されてしまっているから。おかげですっかり視力が悪くなり、目、歯、髪のすべてに修正、補強を加えていないことを自慢してきたが、時々乱視のメガネをかけるようになった。

小説はめったに読まない。うそ臭くて気持ちが悪くなるから。官僚たちが大好きな司馬遼太郎の作品などは、史実に対する視点がずれていて、読み通す気がわかなかった小説のひとつだった。しかし、最近読み終えた村上龍作『半島より出でよ』(上下)はやはり傑作だった。最後の350ページを4時間で読み終えた。飛ばし読みなしで、だ。近未来小説の体を取っているので、多少無理な設定も歴史小説よりは許容できた。この本については、登場人物の性格を理解し、銃器の知識を持ち、場面をヴァーチャルに頭の中で再現することで、速読が可能になったと思う。

他方、論文を読むときは非常にスローテンポだ。論文の長短にかかわらず考えながら読むので、主張を理解するために1回読み、それに対する意見や批判を言うためにもう1~2度読む。場合によっては参考文献も読む。すると、日数がかかる。ただし、論文の読みこなしを日常的にすることで、ほかの長文を冷静に読む力がついたと思っている。

本を読むにはまったく知識がないと読み通すことは難しい。書くほうも知識がきちんと備わっていないと無理な構成になる。知識を持続的に仕入れる力は哲学と問題意識だと思う。それが備わっていない人が政権を執るなら、補佐する人物に適切なひとを配置すべきだった。

・・・と、ここで、夕方麻生首相が記者会見すると情報があった。ただいま時間は午後2時過ぎ。お題は景気浮揚対策とか。書きかけの私が考える景気浮揚対策とどう違うか注意深く聴こう。

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2008/11/25

文字と民度

 漢字が読めない人物を首相に据えたのは偶然か、それとも愚民が産んだ最先端の政治のありようなのか。ここ数日、つらつら考えている。

 私は、日本は文字で知識を共有してきたと信じていた。文字が書かれた紙は、人から人へと移り渡る。そのたびに情報が伝播される。そんなシステムを統治、社会的ネットワーキング、心の交流など様々に利用してきた、と。

 紙を渡された者はその意図を読み取ろうと努力し、意味がわかりにくければコミュニティ内で、組織内で、あるいは仲間同士で、知恵を出し合って斟酌しようとする。政治で言えば、承服できなければ近代では質問状その他問い合わせることは可能。一方の、文字を書いた者、即ち、為政者は口頭での指示より、文書での伝令を公式として、“うまい”文書の書き方に腐心して来た。

 文を作成する方も、それを受け取って読むほうも、情報について考える行為がそこには必ず伴われた。統治において、文字が果たしてきた役割は実に大きいわけだ。もちろんこれが文学であれば、情操、知識など文化面での教育効果も高い。

 私は、日本でデマ情報を発端とする数万人規模でのデモが行われない理由の一つは、民衆がデマで先導されることがないからだと思っている。羊のような気質と表裏一体であるから、なんとも断言はできないが。それでも、日本が「無為の国」でいられるのは、文字を通じて情報共有するシステムが根付いているからだと、信じている。

 演説は空気や気迫は伝えるが、内容については果たして聴衆に伝わったものかどうか、不安なことがある。しかも、その場に居合わせたものしか、その内容を共有できない。つまり情報共有者は限られる。つまり文書とは、情報伝播力、思考の活発化、人々の組織化と、多くの人間の力を誘発するのである。

 他方、思う。文字は官僚が統治者のように君臨してこられた理由でもあるが、それは同時に彼らの能力を育ててもきたのではなかろうか。

 彼らは、冗長ながら文章を書くための情報収集を行うインセンティヴがあるため、自ずと情報収集力が培われる。どんな情報があればどんな方向に政治を進められるか、考えてから情報収集を行う。都合が悪い情報が出てくれば、明確な文書にせず、玉虫に変える。読む側が根負けすることを半ば期待して、図式より言葉での記述を好む。政府系金融改革においては、句読点1個で、まるで違う意味に変身させたと、財務省の官僚の“敏腕”ぶりも耳にする。行政官が育つ土壌は受け継がれている。

 さて当節は、漢字が読めない60代の首相が政治の中枢に君臨する。文藝春秋に書かれた自分名の原稿を最後まで読み終える力もない。漫画に精通するなどイメージアップの情報伝達は心がけてはいるが、「考える」ことは一朝一夕には得意にならない。逃げ口上の文言すら頭に浮かぶまい。これでは、官僚の言うがまま、政治は進むわけだ。官僚たちは内心、しめしめと思っているのではなかろうか。

 ただし、国語力がない学生からは従来のような優秀なる行政官は誕生しない。まもなく、文字で国をコントロールしようなどという不逞の輩すら出てこなくなりそうだ。新しいことを興そうと思う人はテレビで吼えるばかりになったりして。首相はそんな新時代を先取りして生まれてきた新機種なのかもしれない。

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2008/11/20

文章が読めない学生

 昨日、久しぶりに知人とそのお嬢さんとに会った。お嬢さんとははじめてお会いしたが、笑うと馬蹄形になる目を持っていて、愛くるしい。このブログの愛読者でもある。

 そのお嬢さんから衝撃的な話を聞いた。
 大学生が私の日経ウーマンネット「国際協力を仕事にした女性たち」を読みきれず、理解できない、のだという。文章が長すぎること、内容が濃いことについていけない、と。

彼女が卒業した大学は私立の頂点に位置する、歴史と学問レベルを誇っている。その大学生が、わずか4000字あまりの文章についてこられないとは・・・。
 驚きのあまり、しばらく声が出なかった。

 「国際協力を仕事にした女性たち」は、私は大学生の頭脳レベルを想定して書いている。専門知識はないものの、文章が読めて、常識と想像力があれば理解できて、1度読むだけで事足りるように、書いている。

「本当に急速に今の学生のレベルは落ちていると思います。私が在学したころは先生も厳しかったし、みんな本を買って読んでいました。でも今は学生を叱ると病気になっちゃうそうで、先生もご機嫌取りばかりです。大学院は中国や韓国など留学生ばかりで」

 国語力がないとは知識を得るための基盤がないということだ。読めない、話せない、理解できない学生に、言論は何の価値も持たない。自分の頭で考えることもできないだろう。

 考えてみれば、学生のみならず大学の先生や研究者も似たような傾向がある。「乱読」という言葉をついぞ聞かなくなって久しく、私の著書などこちらから贈っても一般書だからと大学の先生はゴミ箱に捨てている。そして年数もたってから、業界内で私が著書で述べたことをテーマに研究会を開いては「資料がない。新しいテーマだから」などといっている。

 さてこのお嬢さん、プライベートセキュリティカンパニーについて資料がない、リストがあったらほしいとおっしゃる。私は『アマチュアはイラクに入るな』でずいぶんページを割いて書いてある旨伝えた。もう4年も前に書いた議論は私にとっては過去のテーマだが、国連に勤務する日本人の間ではホットイッシューらしい。

25日発表の私の日経ビジネスオンラインの原稿で、プライベートセキュリティカンパニーについて言及する。文民統制に関連して、正規軍、非正規軍、民間のセキュリティカンパニーを分析した。Web原稿なんて専門書じゃないから読まないなんていわず、読んでいただきたいと思う。いつも世界初の議論を心がける私ならではの論考だ。

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2008/11/15

世界万華鏡 食は奇妙な文化交流2

 途上国の開発と紛争に関する仕事をしていることから、範疇とする分野は治安から金融、環境など、多岐に渡る。先進国で取材することも多い。最新の議論は先進国でこそ勃興するからだ。

 さて渡航前日、必ずデパートの地下食料品売り場、いわゆる、「デパチカ」で甘いものを買う。買うのは、人気商品を少しずつ入れた「詰め合わせ」ギフトだ。1種類を入れた欧米のクッキー箱とは、同じ1箱でも価値が違う。「詰め合わせ」の概念は他国にないらしく、選ぶ楽しさ、味比べの楽しさ、個包装の便利さがあらゆる国の人を魅了する。それを知ったのは、アメリカでの取材だった。

 首都、ワシントンDCで甘いものの詰め合わせを抱えて民間警備会社の連盟を訪ねた時のこと。取材に丁寧な対応をしてくれた会長の目の前に恭しく美しい絹の風呂敷包みを掲げ、結び目をさらりと解いた。「お中元」の漢字をそのままに熨斗紙つけた詰め合わせが現れた。私はこの眼力を以って、会長がまだ30代の食べ盛りと見抜いた。「日本の甘いものです」と、微笑むと、会長は「オオ!」と一声吟じて飛びついた。そして、開けるや、目がまん丸になった。5種類のクッキー、3種のマドレーヌ、2種類のゼリーが隙間なく彩りよく並べてある様に瞳がうろうろとさ迷い、どれを先に食べようかと早くも選び始めた様相である。

 ふと見ると、紙を破く音が廊下にこだましたのか、3、4人が何事かと部屋を覗いている。全員雲をつくような大男である。会長は「すげえぞ、みんな」と言った(気がした)。さあ、奪い合い開始である。長い手がにょきにょきと伸び、物の数分も経たぬうちに空になった。そして、その場でポケットから甘いものを溢れさせた男性たちと、にこやかに意見交換と相成った。先ほどとは違う本音トークだ。

 またある時は、クッキーの詰め合わせを手にDCで金融機関を訪ねた。量もたっぷり入った大きな箱を、出迎えてくれた社員に渡した後、いったん手洗いに立つと、受付付近が大混雑している。私が持参したクッキーが受付横のテーブルに置かれ、それを取りに社員たちがわんさと押しかけているのだった。社員がほしいだけ取れるように、見えるところに置く慣わしなのだった。見ると、皆、複数種類を山のように抱えていそいそニコニコ部屋に戻っていく。私が手洗いから戻ってみると、すでに空箱であった。この間数分。一人社員が、哀しそうな表情でわずかに残った2枚のクッキーを私に見せながら言うのであった。

「日本のクッキーはたくさんの味を楽しめるから、好きなの!すべての味を試したいと思うのだけど、教えてくれない。皆、美味しい話は秘密にするんだから。だいたい取り過ぎなのよ」
そのクッキーを持参したのは私です、と言おうとするも、件の女性は踵を返してしまった。クッキーには注目するのに筆者には目もくれないのだった。

 甘いものはいい。甘いものはあらゆる人の相好を崩す。それを味わった者は等しく幸せになる。でも両の多寡を人と比べると争いになる。なんだか、甘いものと民主主義は、似ている。

※この記事は、国際フレンドシップ協会発行の「Communicator」11月号で発表したものを、協会の許可を得て転載します。

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2008/11/13

取材は人を成長させる

音楽プロデューサーが詐欺容疑で逮捕されて以来、なんだか私も胸を痛めている。音楽しかとりえがないような人だったのだろうと、想像し、拘置所で音楽がない毎日をさびしいといっているとの報道を目にして、それはそうだろうと、察する。私がもしパソコンはおろか、紙と鉛筆も手にできなかったら、精神状態がおかしくなるだろう。

連れ合いが事件を起こしたとき、妻たる女性がメディアにしっかりした対応をすることは、立派だと思う。芸能関係系の取材記者はしつこいほうだと思うのだが、頭を下げる、顔を隠さない、丁寧語を使い続けるのは、並大抵ではない。取材を疎ましく思う気持ちを抑えて、その記者にではなく、「世間」に頭を下げているのだ。初めからこのような気持ちではいなかっただろう。気乗りがしない取材を受けているうちに、やがて、カメラを「世間」と理解するに至ったに違いない。取材を受けることで、この人は成長してきたのである。

さて一方、物書きとして思う。

正々堂々と取材をして書いた原稿を、取材対象者が事前に見せろと要求することは、物書きとしては承服できない。書き手と取材対象者との間に、圧力をかけた者、かけられた者という歪んだ関係が生まれる。ここで取材対象者が無理を通すと、どうなるか?取材記者の人間性が悪ければ、筆ではなく、口で悪評をばら撒くこともある。そこまでしないまでも、そのテーマにその後は前向きにかかわる姿勢を失う。後々の関係も考えたほうがいい。

取材記者と対象者とではメディアへの望み方が違うのである。取材対象者はリスク回避の心で事前チェックを要求し、読者を感動させようとはさらさら思っていない。他方で、書き手は読者を感動させようとする。ベクトルがまるで違う。

取材対象者が「間違ったことを報道されては」と心配するならば、事実関係をきちんと記載した文書を取材時に渡すとか、誤解されない言葉を話すとか、未然に防ぐことは十分できる。また、人間的に魅了するものがあれば、取材者のほうから事前に相談するだろう。警戒心ばかりが先立つ人間を見ると、取材者は意地悪をしたくなる。そして、低い物腰で重い言葉を話す人には、おおむね取材者も丁寧に接する。

ここからは客観的に書こう。

取材記者と対象者の曲線が合致するところはどこか、というと、「長期的な便益を考える」ことにあると、私は思っている。取材記者が嘘を書けば書き手としての命脈は危うくなるから、事実関係の確認には気を使うようになる。取材対象者も長期的に世間と自分との関係を維持したほうが便益があると思えば、「見せろ」と圧力をかけるより、誤解を生まないような丁寧な、対応をするようになる。メディアに都合のよいことを掲載させれば、それだけで有名人になったと錯覚することもない。

そうして、インタビューは粛々と、おのずと取材対象者のペースですすむことになる。

冒頭で書いた、カメラに頭を下げる被疑者の身内は、自然と、取材記者と取材対象者との接点を会得したのではなかろうか。

将来ある人には、ぜひとも、腹が据わった人間になるための修練と思って、取材を嫌わず、引き受けてほしいと思う。

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2008/11/03

私はMAXに似てません

  前回のお話で、私がMAXに似ていると誤解した人がいるようである。

  それは違う。

  あれはあくまでファッションセンスの話だ。亡くなられた社長は、後姿、立ち姿、全体のイメージを指されたようである。メンバーの誰が、というのではない。

  私が好むファッションは行儀がよくないセンスを含んでいる。子どものころ、裏地が朱色の朱子の黒紋付、般若面の裏付き黒紋付を、祖母の箪笥から見つけたときには、非常に興奮すると同時に「やっぱり」と思った。私の血なんだと。もしかするとその時代に流行っただけかもしれないが。

  長じて後、宝石のデザイナーに般若のデザイン画を渡して、これで指輪を作ってほしいと依頼したことがある。デザイナーは、私をじっと見つめて、これから社会人として歩むならこういう趣味を表してはあなたのためになりません、と忠告してくれた。

  嫌いなもの。紺のスーツ。子どものときから着たことがない。就職活動時に袖を通したとき、身も心も鋳型にはめられたような気がして、30秒と着ていられず、脱ぎ捨てた。こんなものをヘイヘイと着てられるか、着なくてすむ会社に入る、と思った。そしてこんな経歴になった。瞬間の判断とは恐ろしい。

  ところが、この3年間、そうも言っていられずにアメリカとオランダで紺のスーツを3着買った。どれも裏地が真っ赤、竹の絵柄、光沢ある黒と、祖母の着物のセンスに近い。今も紺のスーツはめったに着ないが、真っ赤な裏地のものを選びがちだ。黒の裏地のは買ったまま一度も着ていない。

  裏地に目を留めてくださるのは男女問わず、全員外国の方だった。そこから話を始められるのはファッションの効用である。

  さりながら、日本で出世している女性はなぜか全員、ファッションにこだわらない様子。つまり、ダサい。危険を冒さないというべきか。やはり、私は「脱自分」を求められているんだろうか。いや、このままで行く。

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2008/10/30

MAXを見て金融危機再び

今朝フジテレビでMAXがスタジオライブをする様子を見た。この曲を聴くと誰かを思い出す、というような連想は誰にもあると思うが、私はMAXを見ると自分を思い出し、金融危機を思い出す。

96年ごろだったか、当時仕事で世話になっていた編集プロダクションの社長が入院先の病院から興奮した声で電話をかけてきて、「吉田さんによく似た人たちが歌を歌っているよ」と言った。テレビをつけるとMAXだった。彼女たちのファッションは、白いスーツやシャツを好む私に似ているなと思った。曲も歩く姿もかっこいいと思った。

この社長は取引のあった信用組合など金融機関が危ないと、金策に走り回っているさなか胃を悪くして、入院していた。「やあ、退院したらね、すぐに電話を入れますから。一緒にMAX観に行きましょね!」と機嫌よく電話を切った。その後連絡が来ないまま年賀状を出したところ、奥様から「亡くなりました」と葉書を頂戴した。

今回の金融危機でも信用組合や地銀は厳しいだろう。亡くなった社長と同じように寿命を縮める人もいるかもしれない。今朝のMAXのGive Me a Shakeは、十年以上前の金融危機で揺れた日本を思い出させてくれた。

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雑誌の廃刊続出! 物書き生命を絶つ!?

 雑誌の休刊が気になる。いずれかいてみたいと思っていた論座などこの10月で休刊になってしまった。今年の1月から5月末までに廃刊・休刊された雑誌は、75誌。一方、創刊された雑誌は79誌という(出版科学研究所)。

 物書きから見れば、大変な出来事だ。書く場がなくなるのだから。苦労して集めた情報を発露してはじめて収入になるのであるから、「場」自体がなくなると、競争はますます激化。売れそうなネタ集めに走り、低質な言論になりかねない。実際に、目に付く印字媒体の記事内容に全面的に賛同を覚えないのも確かだ。

 では、インターネットメディアが青天井かというと、そうでもないようだ。テレビも同様のようだ。広告が集まらないことが原因のようだが、私自身もNBオンラインで連載を持って思うが、これをなくすと書く意欲がもう沸いてこないだろう。「場」があってこそ、物書きは仕事に励む。
 書くという仕事には複数の要素が入っている。
・ 世の中にどんな問題があるかを発見する。
・ 問題を調べるためのアクセス情報を得る
・ 取材、情報収集
・ 執筆
・ 売る(しかるべき媒体に持ち込み、掲載してもらう)
この工程のうち、どこかでもたもたしていると鮮度を失い、記事としてなりたたなくなる。時間との勝負である。

 インターネットメディアで書かせてもらうようになったことで、最後の「売る」はなくなったし、取材もしやすくなった。鮮度が勝負の金融記事を書けるようになったのはインターネットが媒体であればこそだ。

 ちなみに、私が金融の記事を書けると思っていた人はほとんどいなかったようで、驚かれた。旧知の人々ですらそうであるから、いわんや、これまでの著作だけで私を見ていた人は驚かれただろう。これでも経済学修士デス。あは。

 ただ、私には苦い思いがある。何でも書ける器用さが災いして、編集者に命じられるまま不本意なことを書いたこともある。出番が欲しかった。でもそれが物書き生命を縮めることも、私は、同時に経験した。田辺聖子さんが以前、人には一つだけ才能があればいいのよ、というようなことを言っておられた。その言葉を聴いたとき、私は胸を衝かれて非常に動揺した。全くその通りだ。その通りだった・・・
 好きなことを好きなように書かせてくださるNBオンラインの編集者に感謝しながら、一作一作、力を込めていきたいと思う。

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2008/09/26

世界万華鏡 食は奇妙な文化交流

 筆者がスウェーデンで研修を受けた同国の国防軍国際センターには、民軍協力のコースのために、NATO諸国と中東諸国、アフリカ諸国から三十数名が訪れていた。筆者はアジアから唯一の参加者であった。他のコースの在学生と教員を含めると、百名近くの多国籍が同時期にセンターに滞在していた。朝早くから夕方まで議論と論文執筆が続くのであるが、夜になると誰彼なく玄関脇のロビーに出てきて自由討論となる。同時期に滞在していた複数コースの中では筆者が在席していたコースが最も活発で、初日から明け方まで大声で話し、笑いあった。理由は、筆者が持ち込んだ柿の種と柿ピー(柿の種とピーナッツの混合)。日本生まれの日本育ちのおつまみである。

 柿の種と柿ピーを供出すると、皆、「これはなんだい?」といぶかしげな様子であったが、筆者がボリボリと音も高らかに食べ方の見本を示すと、そこは軍事関係者らしい潔さで、筆者に習った。すぐに、「お、これはいいな」「ビールに合うな」と口々に叫んだ。「俺、ビール持ってんだ。飲もうぜ」「俺はアイルランドからモルト・ウイスキーを持ってきた。これとも合うぜ」「ラム酒だっていいよ」ということで、それぞれの酒を持ち寄って、異種混合の酒盛りになってしまったのである。ひと呷りグビッとやっては、柿ピーをガサッとつかんで口中に放り込む。酒を飲めないイスラム諸国の人々は、コーラ片手にほおばる。「これ、どの酒にも合うなあ」「人によって噛む音が違うんだなあ」と、全員が共通した感想を抱いた。と、今度はその音を披露し合うことになった。彼らは食に「音」という概念を持ち込むことはなかったようで、その味と音とに、大いにはまってしまった。

 翌日、スウェーデン人が講義終了後に、最寄のスーパーでJAPONと銘打ったおつまみを調達してきた。ミックスあられである。「どうだ」といわんばかりに、広げると、全員が一斉に手を出し、こりゃあいい、と座は盛り上がった。筆者は、しかし不満であった。形は様々だが味は同じのが一つの袋に入っているだけではないか。異種の味が口中で混じるからこそおいしいのに。正しいミックスあられと柿の種、柿ピーを知らぬ彼らは、わが訴えにも耳を貸さず、ボリボリバリバリ。酒量もハイスピードで消費されていくのであった。

 日本のあられはどんな飲み物にも合い、宗教や地域のタブーに触れないようにできていると、どこの国でも大好評である。超文化的食べ物ともいうべきあられには、多国籍の人々を一気にまとめる力をもあることを、身をもって感じた。

 さて、研修の合間の日曜日、我々はストックホルムの街中に繰り出した。ストックホルムには何度か国際会議などで滞在したが、そのつど「すし屋」が増えている。スウェーデンはもともと生魚を食する文化を持つため、鮨に違和感なく飛びついたようだった。この日街で見かけた鮨屋の看板に、筆者の目は釘付けになった。「SUSHI & Coffee」。コーヒーのお供に鮨?日本の伝統食に国境はないと思っていたが、やはり、異文化の壁は、ある。

※この記事は、社団法人国際フレンドシップ協会の「the Communicator」9月号の「世界万華鏡」というコーナーで掲載しました。協会の許しを得て、掲載します。

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2008/09/16

『篤姫』に見る、人脈の形成と声と身のこなしの美

 NHKの大河ドラマ「篤姫」を好んで観ている。参考にしたい女性たちの立ち居振る舞い、とくに、立ち上がり方、踵の返し方、座り方、そして声の出し方を、そこに見出せるからだ。座るにも立ち上がるにも、左足を少し引いて上半身が床に対して垂直に動くように重心を移動する。声を出すときは下腹に力を入れて大きくはっきり声を出す。したがって声は低めに、下から前に突き出るように響く。


とくに、島津斉彬の正妻、英姫役の余貴美子さんの威厳ある歩き方は、私も取り入れようと思った次第である。映像の中で動きといえば江戸屋敷内を歩くところしかないのが、このドラマの特徴だ。余さんは一歩一歩を悠然と時間をかけて進め、見せ場にしていた。上座から下座へと一段下がるとき、高く結い上げた髪が御簾に当たらぬように膝を折りながらも上半身は床に垂直。以前、演劇と謡曲の舞台に立っていた私の目にも、彼女は由緒ある家で生まれ育った風情をありありと映していて、適役だった。


 もうひとつ、直接的な権限がないながら政治に関与する知識欲を持続的に持っている女性たちに感じ入るのである。それがあるから、初対面の人にも臆せず意見を言い、反論されれば聴き、また考え直す。「また会おう」などと気楽にいえない立場であるから、一期一会の真剣勝負で人と会う。これぞ、人脈形成の基本だろう。“良い人”ぶらず、存念を相手の目を見て伝える度胸があり、また、相手にしっかり「あなたを覚えました」と伝える。史実が果たしてそうだったか不明だが、これもまた、大いに参考になる。


 時々、誰かを紹介するに当たり、「よい方ですよ」と言う人がいる。こうした紹介の仕方をする人こそ、人脈の何たるかを知らないのでは、と思うことがある。どんな考えで、具体的に何に対してどうかかわっている人か、を伝えるのが、人に関連する情報である。そんなことを反芻しながら観ている。


私はしばしば、感ずるのであるが、現代女性は年齢を問わず、はしゃぐことを“かわいい”と勘違いし、レストランなどではた迷惑なほどに大声で話すことを男性の歓心を買っていると誤解する傾向が非常に強い。老齢の女性ですらそうした行動をとる。生まれてから棺おけに入るまで女性は可愛くあらねばとプレッシャーを受け続け、いつしかそれに従ってしまうため、日本女性の声は総じて甲高く、語尾をわずかに延ばす。外国人男性が日本女性に性的魅力を感じる一因だ。


フィリピンのアロヨ大統領、リベリアのサリフ大統領、高い地位に着いた外国の女性たちは低い声で威厳を持って話す。わが国の女性政治家、閣僚の声を思い出しては、恥を感ずるのである。

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2008/08/25

取材者の目

一人を囲んで記者がそれを取り囲む「ぶら下がり」で、質問に答えてもらいやすい記者は誰か。見知った顔に答えてくれやすいのはもちろんだが、全く同じ条件だった場合に、である。私の経験では、目の大きい人だ。「我が質問に答えて」と訴える迫力がまるで違ってくるのだ。取材記者は質問する側だから吸い取り紙のように聞き取るだけ、と思ってはいけない。取材するにも主張する「目」が必要なのである。

ところが日本人は総じて目が小さい。外国人の知人に言わせると、「どこに目があるのか見えないから、何を思っているのか感情を読み取れない」そうで、日本人の発信力不足の一因が目にあるのかも?と思った。こんな物理的な要因が、情報が取れない、ネットワーキングしにくいなど、実質的な敗北原因になるとしたら、はなはだ不本意。そんなわけがないと思う方も多いだろう。

この意味では、私は比較優位がある。幸い目が大きいからである。インタビュー中に目ン玉を動かしたり、眉毛を片側だけ上に動かしたりすると、相手は「この点にポイントがあるな」と感じ、より詳細に語ってくれる。ちなみに、私は裸眼である。

幼少時から目立たぬようにしつけられてきた日本人。メガネなどかけていたらますます目がしょぼくなる。よい成果は主張する目から。ジャーナリストがメッセージ発信するのは、媒体を通じてだけとは限らない。

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