ロシアのソフトパワー!
連休中、ロシアの国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」を観てきました。(場所は渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムです)
標題の画はイワン・クラムスコイの画です。30年以上前、銀座の画廊でこの絵を観て、大学生になったらロシア語を勉強しようと決意しました。ロシア文学のイメージのまま画の女性と自分とを重ね、「これは私だ」とまで思ったのです。今で言う「ソフトパワー」に参ったわけです。
それほどの強いインパクトを持っていた画なのに、今回観ると「ふつう」と思ってしまいました。
でも全体に人物画が写真のようで興味深かった。形のとり方がイコンのようなのもありました。日常の風景を描いたものも、ウクライナあたりの穀倉地帯を描いていて悲惨さがない。総じて明るい調子の画が選ばれていました。
この美術展を観て分かったのは、昔展覧されていた画は農奴や労働といったコンセプトで画が選ばれていて、陰惨な帝国ロシア、革命賛歌のプロパガンダが潜んでいたことです。
「ネヴァ河でのそり遊び」は当時の習俗がわかって面白いし、「眠る子どもたち」は臓器移植のために犠牲にされる現在のロシアの子どもたちを想起させ、「画家レーピンの息子、ユーリーの肖像」は我が身近な人物に瓜二つで・・・
そして、私はなんと、理想の男性を発見しました。「コンスタンチン・コンスタンチノーヴィチ大公の肖像」の、大公です!
レーピンの画でした。
かつてのロシアは軍人が最高の男性の職業であり、それは現在もイギリスやスウェーデンなど王室がある国では同じなのですが、今から120年以上も前の時代は、そのステータスの高さは比類なきものでした。
貴族でその職に就いた人は、軍事知識よりも文学、音楽、詩歌の才に恵まれそれをむしろ優先させていた感があります。姿は軍服でしたが、横顔の面持ちと指に高貴さと優美さが表されていました。
対比のためにある思い出を言います。
ある醜悪なる風体の新聞社の論説委員が、私にある詩人の詩を吟じたことがありました。それは鮨屋での出来事でした。私は、大変、シラ~っと、顔を背けて聞こえないふりをして、鮨をほおばりました。気持ちが悪かったのです。同じことを口にしても容貌がそれにマッチしているかどうかで、受け取られ方が違うものなんですね。そんな過去の一瞬の出来事が思い出されました。
同じ非民主主義国の画でも、中国に心惹かれないのは、こういう身近な人物や事象を描いた絵画がないからかもしれません。絵描きと現実の世界が隔絶している。絵描きは現実から逃避しているんじゃないかしら。それとも良いモデルになる人物がいないとか。
それにしても、今私の目の前にこの大公がおられたら、私、絶対、追いかけたな、と思います。
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