京極夏彦のギャグを超える事実
本日ここに記す「ブラックトゥルース」を、私は京極夏彦氏にささげる。ただし私は京極センセとは一面識もない。勝手にささげるだけである。
金曜日、旧知の自衛隊幹部OBに誘われて、自衛隊OBが集まるある納会に参加した。会場に着くや、そこは背を丸めた照り頭、薄禿、白頭の並列。とっさに帰ろうとすると、アー、吉田鈴香だ、の声。すずかさ~ん、と知らない爺の声、声、声。ささ、こちらへこちらへ、と次々に爺たちはわがブーツを脱がせ、コートを取り、鞄を抱えて奥へと誘った。感情をコントロールするよう両親からキツーク躾られてきた私である。ブーツのジッパーに手をかけられたときに気持ち悪さが喉元まで来たが、ぐっとこらえた。
知人とイスラエル情勢など話し始めるも、すぐさま照り坊主たちは一升瓶片手にわが前面にやってきては身を乗り出す。物の数分と経たぬうちに、握手を求められ、腕をさすられ、頬をなでられ肩を寄せられ・・・ハエを追い払うように払いのければその手をつかんで喜ぶ爺。我が信条「人望は風貌から」の原理では「マイナス人望」の採点を下す汚らしきモノどもに耐え切れず、とうとう帰ることを決意。座を立つと、あれもう帰るの、オレと握手ぐらいしていけよ、の声、声、声。振り切ろうとするや、スーツの中へと手を入れようとする。ぶん殴ろうと手を挙げると「握手ダー」と右手をひねり挙げられた。
私は指を怪我していた。傷口がようやく閉じかけていたのがまたぱっくり開いた。痛みで顔をしかめる我が耳に、爺が卑猥なことを言った。
重ねて、これは「ブラックユーモア」のコーナーである。
だから言ってもいいですよね。
京極センセが『南極(人)』で書いておられる好色爺なんて、ちょろいちょろい。事実は小説より奇なり、現実はギャグより先行す。センセが書く「吉良なにがし」は言葉と目つき顔つきで悪事を表し、それを若い女性に戒められているが、現実は違うのであります!破廉恥爺は言葉なく、ガサガサの手で実行するのみ。
もっとも、この現実をそのまま書いてしまうと、笑う余地もない。「破廉恥」などという言葉も知らず、セクハラなんてそんなの関係ねえと、数十年言い続けてきた彼らを、一箇所に集めてはなりませぬ。同席したら最後、覇を競うように破廉恥のボルテージを青天井に上げる。どこかの国が日本を攻めてきたら海岸線にずらり並べるくらいしか、使い道はございません。
この人らの年金、介護費を私は負担したくない。
ご幼少時、父母から「末はやくざの女親分か、過激派の女リーダーになるに違いない」(注:ここにおける「親分」「リーダー」の意は「最も悪いことを率先して行うもの」というほどのこと。「統率者」ではない)と案じられていた私が、こんな羽目にあうとは・・・。
げに、我慢は禁物。笑顔は危険。撫子が一番である。
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