なぜ「考える人」か
私が自分で自分を「考える人」と名乗る理由は、私の前に自らをそう名乗ったアーティストがいて、彼の目線、考え方、いき方が私と似ていたから。
もしご当人がこの話を聞いてもきっと驚かれないだろうと思うので、今日はブログの表題に入れた「考える人」を少しお話したいと思う。
アーティストの名前は、大岩オスカールさん。画家だ。今年の5月ごろ、新聞のインタビューで、「絵筆をもって絵で自分の考えを表しているので『画家』と称されているが、本当は自分を考える人だと思っている」と述べていた。
人には、思想、考えがある。
それを表現するときに人によって絵画だったり、版画だったり、文字だったり、芝居だったりする。この世にそれを形として実現するには立法、司法、行政、NPOの立場をとることもできる。
大岩オスカールさんは、そうしたあらゆる方途の中から絵筆を選択して、それをもって自らの世界観、ものを見る目線を表している。そのため、彼の絵は奇妙な事物の取り合わせが多く、この人の頭の中はどうなっているのかしら、と鑑賞者は思うようだ。
彼の目に、ものを見るときに複数の物事が重層的に映る。
例えば、テーブルの上にマグカップと新聞の文字、花、風景写真があったとして、人は自然と自分に必要なものだけを選びとって目に入れているだろう。新聞を読みたいと思えば新聞だけを目に入れる。何か飲みたいと思うときにはマグカップだけを目にする。心を安らげたいと思っていると花に目がいく。遠い異空間に思いをはせたいときには風景写真に視線を落とす。そうやって取捨選択しながら毎日を過ごすのが人の暮らしというもの。
だが、考える人は、それら取り留めない異種を組み合わせる。写真にある遠い地にも情報に飢える人、飲み物を欲する人、花を愛でる人、それらを共有する人間の営みがある。そして、相互にそれらは関連して存在している。どう関連しているかと考える。すると、絵の構図が頭に浮かぶ。高層ビルのもっと高みに花の様な核爆弾が傘を開いていたり、ビルの向こうにマグカップが聳え立ったり、新聞が曲がってインフラになったり、そんな構図だ。頭に浮かんだ事物の関連性を、大岩オスカールさんは描いている。
もっとも、この解釈は私が勝手に思っただけのこと。実は違うのかもしれない。ただ、私は物事を見るときに、自分とその事物との関連、ということの前に、事物同士の関連をまず考える。そのため、こう思っているだけのことだ。
起業したころ、ある人に「私は自分を考える人だと思っている」といったことがあったのだが、そのとき大いに変な顔をされた。そうか、現代において「考える人」は通用しないのか、自分を表すときは社名、ポスト名、あるいは業種名であらねばならんのだな、と思った私は、以後、「考える人」を口にすることを止めた。世の仕組みに自分をはめる難しさを感じたが、大岩オスカールさんが同じことを言われたことに、励まされた。そうして、このブログに「考える人」の文字を入れることにしたのだった。
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