消費
週末、近所のご婦人と車で年末の買出しに出かけた。運転手はご婦人である。昭和3年1月の生まれというから、まもなく82歳になる方だが、四輪駆動を乗りこなし、戦中戦後を職業婦人としてひとり、生き続けてこられた。
ご婦人は、品を選ぶ際に何かと助言をしてくれた。よく見たほうがいいわよと、ラ・フランスを指で押したりもんだり(!)しながら品定めもしてくださる。大きな物は半分にして分けましょうということになり、二人で品を吟味した。レジで精算すると予定の半分以下の買い物にとどまった。
車中、ご婦人は、街の辻を曲がるたびに、昭和40年代はここは政治家のだれそれさんのお宅で、ほら、あちらのマンションには有名な有閑マダムがいらして、あ、あそこは財界の某さんのおめかけさんが今も暮らしていてだから庭が良く手入れされているのね、と教えてくださる。町並みをそのような情報をもって観たのは初めてであったので、興味深かった。
一方、あなたは若くていいわねえと、しきりにご自分と私とを比較する。ご婦人は私の両親よりも年長で、時代もすっかり違うのだから比較の対象にならないはずだ。話を聴いているうちに、「世代」という概念が彼女にはないのかもしれない、と思い当たった。自分の栄養を注ぎ込む行為をしたことがなく、身内から反発されたこともなく、社会的地位で知恵と情報のやり取りをしてこられたのだろう、と。自分の時間もお金も自分のためだけに使ってこられたのだから恵まれている人だと思う。しかし、ご婦人には先の不安だけが思いやられ、消費も最低限にとどめているようだ。
帰宅後、私は買い物袋を広げて気が塞いだ。買ったのはこれだけか。元来チマチマとした買い物が好きではないこともあり、「まとめ買い」という名のドカ買いをする習いが身についている。我慢できなくなって結局徒歩圏内のスーパーへと出かけた。
私の胸に常にあるのは、小野小町の遺首だ。
我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ
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