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2008年11月

2008/11/28

日本イノベーター大賞の枋迫さん

 27日夕方、日経BP社主催の日本イノベーター大賞の授賞式に行ってきた。旧知の枋迫篤昌さんが大賞を受賞されたのでお祝いを言うためだ。

  枋迫さんが創業したマイクロファイナンス・インターナショナル・コーポレーション(MFIC)は、移民送金を原資に途上国に滞留資金を作り、それを貧困層に低利で小額貸し出すという、画期的なスキームだ。拝金主義を基盤にした金融工学にあえて乗らず、善良なる心がそのまま結実した透明な決済プログラムが素晴らしい。その枋迫さんが、私も縁がある日経BP社から栄えあるイノベーター大賞を受けたとは、ご縁である。

枋迫さんが起業したばかりの2004年の9月、私はアメリカのワシントンDCとその周辺の送金店舗と、マイクロファイナンス取引先があるエルサルバドルの受益者を訪ねて歩いた。DCの近郊、ホイートンの店舗の開店セレモニーを取材したり、顧客に集まってもらってグループインタビューをしたり、顧客の母国の家族を尋ねて送金に頼る暮らしぶりを伺ったり。最先端の取材だった。

日本ではまだ「移民送金」という言葉自体が知られていないときで、マイクロファイナンスを勉強会で学んでいるレベルだった。彼が考案したスキームを専門的に解説した記事を業界専門誌の「国際開発ジャーナル」で発表したり、送金システムに絞って「フォーブス日本版」で書いたり、ODA機関にペーパーを提出したりした。

その後、2006年、2007年と、DCの会社と店舗を訪ねて最新の状況をフォローアップもした。MFICのスキームを金融と開発の両面から専門的に解析をし、そのフィールドまで尋ねていったのはジャーナリストでもコンサルタントでも今も私一人と自負している。

授賞式で晴れやかにスピーチする枋迫さんを見ながら思った。もう私が枋迫さんを応援してやる必要もなくなった。良かった良かった、枋迫さん。おめでとう!!

帰り道、枋迫さんの取り組みを冷ややかに見ていた国際協力の世界の誰彼の顔が頭に浮かんだ。批評するのは誰でもできるが、厳しい実業の世界で誰も考え付かなかったことを始め、実績を出すことは、月とスッポンほどに違う。なんだかちょっとばかりスッポンたちのハナを明かしたような気がした。徹夜明けの頭が妙に冴えた。

さて今夜は、読みかけの村上龍作『半島より出でよ』の後半を読みきってしまうか。寒さに身をすくめて吐く白い息が、安堵の息と混じってちょっとばかり長くなった。

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2008/11/25

日経ビジネスオンラインにてコラム公開中

こんにちは! 吉田鈴香です。

日経ビジネス「NBオンライン」にてコラムを公開しています。

本日11月25日公開の記事は、軍を律する文民統制とは何か「民主国軍と非民主国軍の違い(1)」です。

私の所感をぜひご覧ください。そして、ぜひコメントをお寄せください

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文字と民度

 漢字が読めない人物を首相に据えたのは偶然か、それとも愚民が産んだ最先端の政治のありようなのか。ここ数日、つらつら考えている。

 私は、日本は文字で知識を共有してきたと信じていた。文字が書かれた紙は、人から人へと移り渡る。そのたびに情報が伝播される。そんなシステムを統治、社会的ネットワーキング、心の交流など様々に利用してきた、と。

 紙を渡された者はその意図を読み取ろうと努力し、意味がわかりにくければコミュニティ内で、組織内で、あるいは仲間同士で、知恵を出し合って斟酌しようとする。政治で言えば、承服できなければ近代では質問状その他問い合わせることは可能。一方の、文字を書いた者、即ち、為政者は口頭での指示より、文書での伝令を公式として、“うまい”文書の書き方に腐心して来た。

 文を作成する方も、それを受け取って読むほうも、情報について考える行為がそこには必ず伴われた。統治において、文字が果たしてきた役割は実に大きいわけだ。もちろんこれが文学であれば、情操、知識など文化面での教育効果も高い。

 私は、日本でデマ情報を発端とする数万人規模でのデモが行われない理由の一つは、民衆がデマで先導されることがないからだと思っている。羊のような気質と表裏一体であるから、なんとも断言はできないが。それでも、日本が「無為の国」でいられるのは、文字を通じて情報共有するシステムが根付いているからだと、信じている。

 演説は空気や気迫は伝えるが、内容については果たして聴衆に伝わったものかどうか、不安なことがある。しかも、その場に居合わせたものしか、その内容を共有できない。つまり情報共有者は限られる。つまり文書とは、情報伝播力、思考の活発化、人々の組織化と、多くの人間の力を誘発するのである。

 他方、思う。文字は官僚が統治者のように君臨してこられた理由でもあるが、それは同時に彼らの能力を育ててもきたのではなかろうか。

 彼らは、冗長ながら文章を書くための情報収集を行うインセンティヴがあるため、自ずと情報収集力が培われる。どんな情報があればどんな方向に政治を進められるか、考えてから情報収集を行う。都合が悪い情報が出てくれば、明確な文書にせず、玉虫に変える。読む側が根負けすることを半ば期待して、図式より言葉での記述を好む。政府系金融改革においては、句読点1個で、まるで違う意味に変身させたと、財務省の官僚の“敏腕”ぶりも耳にする。行政官が育つ土壌は受け継がれている。

 さて当節は、漢字が読めない60代の首相が政治の中枢に君臨する。文藝春秋に書かれた自分名の原稿を最後まで読み終える力もない。漫画に精通するなどイメージアップの情報伝達は心がけてはいるが、「考える」ことは一朝一夕には得意にならない。逃げ口上の文言すら頭に浮かぶまい。これでは、官僚の言うがまま、政治は進むわけだ。官僚たちは内心、しめしめと思っているのではなかろうか。

 ただし、国語力がない学生からは従来のような優秀なる行政官は誕生しない。まもなく、文字で国をコントロールしようなどという不逞の輩すら出てこなくなりそうだ。新しいことを興そうと思う人はテレビで吼えるばかりになったりして。首相はそんな新時代を先取りして生まれてきた新機種なのかもしれない。

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2008/11/20

文章が読めない学生

 昨日、久しぶりに知人とそのお嬢さんとに会った。お嬢さんとははじめてお会いしたが、笑うと馬蹄形になる目を持っていて、愛くるしい。このブログの愛読者でもある。

 そのお嬢さんから衝撃的な話を聞いた。
 大学生が私の日経ウーマンネット「国際協力を仕事にした女性たち」を読みきれず、理解できない、のだという。文章が長すぎること、内容が濃いことについていけない、と。

彼女が卒業した大学は私立の頂点に位置する、歴史と学問レベルを誇っている。その大学生が、わずか4000字あまりの文章についてこられないとは・・・。
 驚きのあまり、しばらく声が出なかった。

 「国際協力を仕事にした女性たち」は、私は大学生の頭脳レベルを想定して書いている。専門知識はないものの、文章が読めて、常識と想像力があれば理解できて、1度読むだけで事足りるように、書いている。

「本当に急速に今の学生のレベルは落ちていると思います。私が在学したころは先生も厳しかったし、みんな本を買って読んでいました。でも今は学生を叱ると病気になっちゃうそうで、先生もご機嫌取りばかりです。大学院は中国や韓国など留学生ばかりで」

 国語力がないとは知識を得るための基盤がないということだ。読めない、話せない、理解できない学生に、言論は何の価値も持たない。自分の頭で考えることもできないだろう。

 考えてみれば、学生のみならず大学の先生や研究者も似たような傾向がある。「乱読」という言葉をついぞ聞かなくなって久しく、私の著書などこちらから贈っても一般書だからと大学の先生はゴミ箱に捨てている。そして年数もたってから、業界内で私が著書で述べたことをテーマに研究会を開いては「資料がない。新しいテーマだから」などといっている。

 さてこのお嬢さん、プライベートセキュリティカンパニーについて資料がない、リストがあったらほしいとおっしゃる。私は『アマチュアはイラクに入るな』でずいぶんページを割いて書いてある旨伝えた。もう4年も前に書いた議論は私にとっては過去のテーマだが、国連に勤務する日本人の間ではホットイッシューらしい。

25日発表の私の日経ビジネスオンラインの原稿で、プライベートセキュリティカンパニーについて言及する。文民統制に関連して、正規軍、非正規軍、民間のセキュリティカンパニーを分析した。Web原稿なんて専門書じゃないから読まないなんていわず、読んでいただきたいと思う。いつも世界初の議論を心がける私ならではの論考だ。

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2008/11/17

「国際協力を仕事にした女性たち」最新号

日経ウーマンネットで連載中の「国際協力を仕事にした女性たち」最新号は、赤十字国際委員会(ICRC)のProtection-Delegate(保護担当要員)の九島麻里子さんです。

ぜひ、日経ウーマンネットで連載中の「国際協力を仕事にした女性たち」最新号で、詳細をご覧ください。

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2008/11/15

世界万華鏡 食は奇妙な文化交流2

 途上国の開発と紛争に関する仕事をしていることから、範疇とする分野は治安から金融、環境など、多岐に渡る。先進国で取材することも多い。最新の議論は先進国でこそ勃興するからだ。

 さて渡航前日、必ずデパートの地下食料品売り場、いわゆる、「デパチカ」で甘いものを買う。買うのは、人気商品を少しずつ入れた「詰め合わせ」ギフトだ。1種類を入れた欧米のクッキー箱とは、同じ1箱でも価値が違う。「詰め合わせ」の概念は他国にないらしく、選ぶ楽しさ、味比べの楽しさ、個包装の便利さがあらゆる国の人を魅了する。それを知ったのは、アメリカでの取材だった。

 首都、ワシントンDCで甘いものの詰め合わせを抱えて民間警備会社の連盟を訪ねた時のこと。取材に丁寧な対応をしてくれた会長の目の前に恭しく美しい絹の風呂敷包みを掲げ、結び目をさらりと解いた。「お中元」の漢字をそのままに熨斗紙つけた詰め合わせが現れた。私はこの眼力を以って、会長がまだ30代の食べ盛りと見抜いた。「日本の甘いものです」と、微笑むと、会長は「オオ!」と一声吟じて飛びついた。そして、開けるや、目がまん丸になった。5種類のクッキー、3種のマドレーヌ、2種類のゼリーが隙間なく彩りよく並べてある様に瞳がうろうろとさ迷い、どれを先に食べようかと早くも選び始めた様相である。

 ふと見ると、紙を破く音が廊下にこだましたのか、3、4人が何事かと部屋を覗いている。全員雲をつくような大男である。会長は「すげえぞ、みんな」と言った(気がした)。さあ、奪い合い開始である。長い手がにょきにょきと伸び、物の数分も経たぬうちに空になった。そして、その場でポケットから甘いものを溢れさせた男性たちと、にこやかに意見交換と相成った。先ほどとは違う本音トークだ。

 またある時は、クッキーの詰め合わせを手にDCで金融機関を訪ねた。量もたっぷり入った大きな箱を、出迎えてくれた社員に渡した後、いったん手洗いに立つと、受付付近が大混雑している。私が持参したクッキーが受付横のテーブルに置かれ、それを取りに社員たちがわんさと押しかけているのだった。社員がほしいだけ取れるように、見えるところに置く慣わしなのだった。見ると、皆、複数種類を山のように抱えていそいそニコニコ部屋に戻っていく。私が手洗いから戻ってみると、すでに空箱であった。この間数分。一人社員が、哀しそうな表情でわずかに残った2枚のクッキーを私に見せながら言うのであった。

「日本のクッキーはたくさんの味を楽しめるから、好きなの!すべての味を試したいと思うのだけど、教えてくれない。皆、美味しい話は秘密にするんだから。だいたい取り過ぎなのよ」
そのクッキーを持参したのは私です、と言おうとするも、件の女性は踵を返してしまった。クッキーには注目するのに筆者には目もくれないのだった。

 甘いものはいい。甘いものはあらゆる人の相好を崩す。それを味わった者は等しく幸せになる。でも両の多寡を人と比べると争いになる。なんだか、甘いものと民主主義は、似ている。

※この記事は、国際フレンドシップ協会発行の「Communicator」11月号で発表したものを、協会の許可を得て転載します。

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2008/11/13

取材は人を成長させる

音楽プロデューサーが詐欺容疑で逮捕されて以来、なんだか私も胸を痛めている。音楽しかとりえがないような人だったのだろうと、想像し、拘置所で音楽がない毎日をさびしいといっているとの報道を目にして、それはそうだろうと、察する。私がもしパソコンはおろか、紙と鉛筆も手にできなかったら、精神状態がおかしくなるだろう。

連れ合いが事件を起こしたとき、妻たる女性がメディアにしっかりした対応をすることは、立派だと思う。芸能関係系の取材記者はしつこいほうだと思うのだが、頭を下げる、顔を隠さない、丁寧語を使い続けるのは、並大抵ではない。取材を疎ましく思う気持ちを抑えて、その記者にではなく、「世間」に頭を下げているのだ。初めからこのような気持ちではいなかっただろう。気乗りがしない取材を受けているうちに、やがて、カメラを「世間」と理解するに至ったに違いない。取材を受けることで、この人は成長してきたのである。

さて一方、物書きとして思う。

正々堂々と取材をして書いた原稿を、取材対象者が事前に見せろと要求することは、物書きとしては承服できない。書き手と取材対象者との間に、圧力をかけた者、かけられた者という歪んだ関係が生まれる。ここで取材対象者が無理を通すと、どうなるか?取材記者の人間性が悪ければ、筆ではなく、口で悪評をばら撒くこともある。そこまでしないまでも、そのテーマにその後は前向きにかかわる姿勢を失う。後々の関係も考えたほうがいい。

取材記者と対象者とではメディアへの望み方が違うのである。取材対象者はリスク回避の心で事前チェックを要求し、読者を感動させようとはさらさら思っていない。他方で、書き手は読者を感動させようとする。ベクトルがまるで違う。

取材対象者が「間違ったことを報道されては」と心配するならば、事実関係をきちんと記載した文書を取材時に渡すとか、誤解されない言葉を話すとか、未然に防ぐことは十分できる。また、人間的に魅了するものがあれば、取材者のほうから事前に相談するだろう。警戒心ばかりが先立つ人間を見ると、取材者は意地悪をしたくなる。そして、低い物腰で重い言葉を話す人には、おおむね取材者も丁寧に接する。

ここからは客観的に書こう。

取材記者と対象者の曲線が合致するところはどこか、というと、「長期的な便益を考える」ことにあると、私は思っている。取材記者が嘘を書けば書き手としての命脈は危うくなるから、事実関係の確認には気を使うようになる。取材対象者も長期的に世間と自分との関係を維持したほうが便益があると思えば、「見せろ」と圧力をかけるより、誤解を生まないような丁寧な、対応をするようになる。メディアに都合のよいことを掲載させれば、それだけで有名人になったと錯覚することもない。

そうして、インタビューは粛々と、おのずと取材対象者のペースですすむことになる。

冒頭で書いた、カメラに頭を下げる被疑者の身内は、自然と、取材記者と取材対象者との接点を会得したのではなかろうか。

将来ある人には、ぜひとも、腹が据わった人間になるための修練と思って、取材を嫌わず、引き受けてほしいと思う。

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2008/11/11

日経ビジネスオンラインにてコラム公開中

こんにちは! 吉田鈴香です。

日経ビジネス「NBオンライン」にてコラムを公開しています。

本日11月11日公開の記事は、前回の続編です。「なぜ、日本の援助は「顔が見えない」のか(2)日本は、正々堂々と国際支援をしよう です。

私の所感をぜひご覧ください。そして、ぜひコメントをお寄せください

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2008/11/06

日経ビジネスオンラインにてコラム公開中

こんにちは! 吉田鈴香です。

本日11月6日、日経ビジネス「NBオンライン」の特集「オバマ大統領」の米国 さまよう超大国、威信を取り戻せるかの中で、コラムを執筆しております。

公開している記事は、“身の丈”民主主義のオバマ政権 ~防衛費は抑えられ、国際開発費が増大傾向に~です。

私の所感をぜひご覧ください。そして、ぜひコメントをお寄せください。

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2008/11/05

11月1日発売「国際開発ジャーナル」11月号

こんにちは!吉田鈴香です。

11月1日発売の「国際開発ジャーナル」11月号にて
「生き残る人たちのキャリアの積み方」というタイトルで
寄稿しました。

お近くの書店で手にとっていただければ幸いです。

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2008/11/04

日経ビジネスオンラインにてコラム公開中

こんにちは! 吉田鈴香です。

日経ビジネス「NBオンライン」にて、月2本のコラムを執筆しています。タイトルは、吉田鈴香の「世界の中のニッポン」です。

本日11月4日公開の記事は、「なぜ、日本の援助は「顔が見えない」のか(1)支援は現地の住民主導で行うべきである」です。

私の所感をぜひご覧ください。そして、ぜひコメントをお寄せください。

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2008/11/03

私はMAXに似てません

  前回のお話で、私がMAXに似ていると誤解した人がいるようである。

  それは違う。

  あれはあくまでファッションセンスの話だ。亡くなられた社長は、後姿、立ち姿、全体のイメージを指されたようである。メンバーの誰が、というのではない。

  私が好むファッションは行儀がよくないセンスを含んでいる。子どものころ、裏地が朱色の朱子の黒紋付、般若面の裏付き黒紋付を、祖母の箪笥から見つけたときには、非常に興奮すると同時に「やっぱり」と思った。私の血なんだと。もしかするとその時代に流行っただけかもしれないが。

  長じて後、宝石のデザイナーに般若のデザイン画を渡して、これで指輪を作ってほしいと依頼したことがある。デザイナーは、私をじっと見つめて、これから社会人として歩むならこういう趣味を表してはあなたのためになりません、と忠告してくれた。

  嫌いなもの。紺のスーツ。子どものときから着たことがない。就職活動時に袖を通したとき、身も心も鋳型にはめられたような気がして、30秒と着ていられず、脱ぎ捨てた。こんなものをヘイヘイと着てられるか、着なくてすむ会社に入る、と思った。そしてこんな経歴になった。瞬間の判断とは恐ろしい。

  ところが、この3年間、そうも言っていられずにアメリカとオランダで紺のスーツを3着買った。どれも裏地が真っ赤、竹の絵柄、光沢ある黒と、祖母の着物のセンスに近い。今も紺のスーツはめったに着ないが、真っ赤な裏地のものを選びがちだ。黒の裏地のは買ったまま一度も着ていない。

  裏地に目を留めてくださるのは男女問わず、全員外国の方だった。そこから話を始められるのはファッションの効用である。

  さりながら、日本で出世している女性はなぜか全員、ファッションにこだわらない様子。つまり、ダサい。危険を冒さないというべきか。やはり、私は「脱自分」を求められているんだろうか。いや、このままで行く。

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