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2008年10月

2008/10/30

MAXを見て金融危機再び

今朝フジテレビでMAXがスタジオライブをする様子を見た。この曲を聴くと誰かを思い出す、というような連想は誰にもあると思うが、私はMAXを見ると自分を思い出し、金融危機を思い出す。

96年ごろだったか、当時仕事で世話になっていた編集プロダクションの社長が入院先の病院から興奮した声で電話をかけてきて、「吉田さんによく似た人たちが歌を歌っているよ」と言った。テレビをつけるとMAXだった。彼女たちのファッションは、白いスーツやシャツを好む私に似ているなと思った。曲も歩く姿もかっこいいと思った。

この社長は取引のあった信用組合など金融機関が危ないと、金策に走り回っているさなか胃を悪くして、入院していた。「やあ、退院したらね、すぐに電話を入れますから。一緒にMAX観に行きましょね!」と機嫌よく電話を切った。その後連絡が来ないまま年賀状を出したところ、奥様から「亡くなりました」と葉書を頂戴した。

今回の金融危機でも信用組合や地銀は厳しいだろう。亡くなった社長と同じように寿命を縮める人もいるかもしれない。今朝のMAXのGive Me a Shakeは、十年以上前の金融危機で揺れた日本を思い出させてくれた。

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雑誌の廃刊続出! 物書き生命を絶つ!?

 雑誌の休刊が気になる。いずれかいてみたいと思っていた論座などこの10月で休刊になってしまった。今年の1月から5月末までに廃刊・休刊された雑誌は、75誌。一方、創刊された雑誌は79誌という(出版科学研究所)。

 物書きから見れば、大変な出来事だ。書く場がなくなるのだから。苦労して集めた情報を発露してはじめて収入になるのであるから、「場」自体がなくなると、競争はますます激化。売れそうなネタ集めに走り、低質な言論になりかねない。実際に、目に付く印字媒体の記事内容に全面的に賛同を覚えないのも確かだ。

 では、インターネットメディアが青天井かというと、そうでもないようだ。テレビも同様のようだ。広告が集まらないことが原因のようだが、私自身もNBオンラインで連載を持って思うが、これをなくすと書く意欲がもう沸いてこないだろう。「場」があってこそ、物書きは仕事に励む。
 書くという仕事には複数の要素が入っている。
・ 世の中にどんな問題があるかを発見する。
・ 問題を調べるためのアクセス情報を得る
・ 取材、情報収集
・ 執筆
・ 売る(しかるべき媒体に持ち込み、掲載してもらう)
この工程のうち、どこかでもたもたしていると鮮度を失い、記事としてなりたたなくなる。時間との勝負である。

 インターネットメディアで書かせてもらうようになったことで、最後の「売る」はなくなったし、取材もしやすくなった。鮮度が勝負の金融記事を書けるようになったのはインターネットが媒体であればこそだ。

 ちなみに、私が金融の記事を書けると思っていた人はほとんどいなかったようで、驚かれた。旧知の人々ですらそうであるから、いわんや、これまでの著作だけで私を見ていた人は驚かれただろう。これでも経済学修士デス。あは。

 ただ、私には苦い思いがある。何でも書ける器用さが災いして、編集者に命じられるまま不本意なことを書いたこともある。出番が欲しかった。でもそれが物書き生命を縮めることも、私は、同時に経験した。田辺聖子さんが以前、人には一つだけ才能があればいいのよ、というようなことを言っておられた。その言葉を聴いたとき、私は胸を衝かれて非常に動揺した。全くその通りだ。その通りだった・・・
 好きなことを好きなように書かせてくださるNBオンラインの編集者に感謝しながら、一作一作、力を込めていきたいと思う。

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2008/10/24

円が1ドル80円台に突入か?

日経ビジネスオンラインの吉田鈴香の「世界の中のニッポン」で言い当てた、日銀の失態が、現実になっている。今日24日の日経平均は8000円割れ、円は95円台だ。ロンドンでは午前10時45分の段階で、1ドル90円台に入ったとか。今日の終値は80円台に突入するかもしれない。

 日銀が何も行動を起こさなかったことは、市場では「日本だけが独立しているフリをしている」「じゃあ、買い浴びせちゃえ」と思っているかもしれない。日銀は、マーケットが金利下げを要求しているのが分からないみたいだ。

協調利下げをしておけば、「日本は先を読んでいる」「金融危機を感じ取って先手を打つ能力がある」とメッセージを発信できたのに。金利は下げ率が問題なのではない、サプライズが大事なのだ。

利下げできてもあと1回しかない。この状況で下げても、焼け石に水になるから現状維持か、それとも、やらないよりましか。効果は薄いがすぐにすべきだと思う。ここに加えて麻生首相が例の羽目ハズシ調の陽気さで増税を発表したら、一気に経済下降だ。どうする、日銀さん!

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2008/10/23

金融の負の連鎖が途上国に及ぼすもの

 リーマン・ブラザーズ破綻以来、金融の世界での負の連鎖が心配だ。今回の危機は、97年のアジア通貨危機と違って、世界中の国々をディープ・リセッションか恐慌か、という不安に陥れている。IMFに基金を作って救済する案で対応しきれるとは思えない。日本の財務相はIMFにいい顔したいらしい。

 アイスランドに続く国家のデフォルト(債務不履行)は、パキスタン、ベラルーシ、ウクライナ、ハンガリーと来て、次はアルゼンチンが危ないとか。これらは、新興国、エマージング国だ。そしてトルコ、ブラジル、韓国、ロシアだと名前が続々挙がってきた。クレジット・デフォルト・スワップのスプレッドでリスクを見るとこういうことになる。

 私の心配は、本当に貧困に陥っている途上国、特にアフリカの途上国に投資も援助も滞るだろうということだ。せめて、無償資金協力で手当てをしないといかんのではなかろうか。これまで平和構築で国際協調の必要性を、開発におけるそれ以上に感じてきた。そして、今度の金融危機のあおりを受けている途上国の開発の世界で、日本が主導して国際協調ができたらと、思っている。

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2008/10/21

日経ビジネスオンラインにてコラム公開中

こんにちは! 吉田鈴香です。

日経ビジネス「NBオンライン」にて、月2本の連載が始まっています。タイトルは、吉田鈴香の「世界の中のニッポンです

十人十色のご意見、ありがとうございます。さまざまな考え方があり、私も刺激されます。

さて、本日10月21日公開の記事は、「金利政策で出遅れた日本~タイミングを逃したのは日銀の失態か」です。

私の所感をぜひご覧ください。そして、ぜひコメントをお寄せください。

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2008/10/20

舟越桂さんの作品

 週末、久しぶりにアートのことを思い出す時間が持てた。仕事のための資料を手から離し、舟越桂さんの作品を思い出していた。
 舟越さんの作品は木彫りの人物像が多いのだが、版画もドローイングも手がける。有名なのは、両性具有のようなスフィンクスに関連する一群で、身体と手、頭、首が具体的に誰かをデッサンして採ったというようなものではない。舟越さんが生み出した何か、なのであった。

 私が舟越さんの作品を観たのは、まだ夏の余韻が残る東京都庭園美術館であった。薄く光がさす小部屋で観るスフィンクスの目が光を集め、放っていた。それが全身のオーラになって異常なまでの存在感があった。目の光とは、色を言うのではない、照り返しの強さと透明度を言うのかと、改めて思った。人を識別するためにパスポートに目の色を明記する国があるが、それは便宜上のものであって、人の記憶に残る目の色とは、強さと透明度をさすんじゃなかろうか。日差しが強いところでは凝視できないほどにその目に光が吸い寄せられる。暗いところではその目から光が放射され辺りを照らす。美術館となった旧朝香宮邸の粋な小部屋を巡りながら、あちらこちらから眼光の放射を浴びているようで、背筋が伸びた。

 舟越さんの作品には「手」がしばしば登場する。「言葉をつかむ手」とか、「違い手のスフィンクス」とか。人物像の手ではない、第三者の手が後ろから覗く。脇から突き出される。手が何を意味するか、考えていくとそれは「コンセプト」に突き当たる。木彫りの人物像と、何者かが対話、あるいは誘い、示唆を持ち掛けられている。それは「キミとボク」みたいな二者間のテーマではなくて、人類全てに言い当たる何か、だ。上映されていたビデオでは作者自身は始めからそれを計算していないようだ。舟越さんが、「これはなんだろう」と考えながら、自分の作品に導かれるように、思案、思索を進めている過程が目に浮かんだ。巨匠に失礼と思わぬでもないが、アートを楽しむとは、一つには、作品が生まれるまでの過程を追体験することでもあるか、な。これが「共有」ということであろうか。スフィンクスの目を見ながら、こんな目の光に魅せられた歴史が我が人生にもあった、などと、ふと内省した。

 彫刻もドローイングも版画もデッサンもこなす舟越さんは、旧来の「彫刻家」「版画家」などという型にはまった作家の類別を超えている。共通するのは専門技術が磐石であること、コンセプトに基づいていること。畏れながら、それは私と似ている。時にジャーナリスト、時にコンサルタント、時に作家、時にエッセイスト。業態で私を把握するなど無意味だ。舟越さんの作品を思い浮かべながら、旧来の型を破るエネルギーを共有できた喜びが沸いてきた。

舟越さん、お会いしたこともないのにごめんなさい。

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2008/10/14

「国際協力を仕事にした女性たち」最新号

日経ウーマンネットで連載中の「国際協力を仕事にした女性たち」最新号は、世界銀行 中東・北アフリカ地域保健・栄養・人口セクター担当マネジャー 前田明子さん です。

前田さんは、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビヤ、エジプト、レバノン、ヨルダン、シリア、ガザ地区&西岸地区、イラン、イラク、イエメン、ジブチ、湾岸諸国(サウジアラビア、バーレーン、アラブ首長国連邦、オマーン、クウェート、カタール)という宗教的に難しい地域で、担当する国々の大臣らを相手に、当事国の保健、栄養、人口に関するマクロな政策議論を行い、より望ましい保健システムを構築する仕事をしています。

ぜひ、日経ウーマンネットで連載中の「国際協力を仕事にした女性たち」最新号で、詳細をご覧ください。

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2008/10/08

国際支援発展のために私ができること

 昨日NBオンライン「吉田鈴香の「世界の中のニッポン」」で公開した我記事に対し、様々な人からコメントを頂いた。物書きとして、また、国際支援の世界にいるものとして、大変嬉しく思う。国際支援の世界の活性化と活発化を願って書いたことに、味方を得たような気がしている。ODAの問題提起記事を書こうと決意してから約5ヶ月、膨大な量のメモを作り、道を歩きながらぶつぶつ独り言を言い、夜中に起きて枕もとの紙の余白に走り書きをした。「アートの世界」の人たちなら、デッサン、素描と言われるような下書きの束だ。全て書き終わるまで取っておこう。

 私は、国際支援の世界で育ててもらった。誰が育ての親かと特定するような“育てられ”方ではないが、自分より知識がありそうな人には片っ端から質問をし、自分で考え、取材をし、本、論文を読んだ。いつしか20年もたってしまったことに、自分で唖然とする。それが文字にすると、わずかな量にしかならない。知識をためるための時間軸と、執筆のための時間軸は、まったく異次元だ。

 こっそりメールを下さった見知らぬ人もいる。「外務省から嫌がらせを受けることでしょうが頑張って」は、予想していなかったのでいささか驚く。嫌がらせのような姑息なことをするのかな?真正面から面談をお願いし、真正面で受け止めてくれた何人かの外務省の人たちの顔を思い浮かべながら、マサカな~と思っている。

 執筆に当たってNGOの方々に相談したわけではないが、私の結論に賛同するNGOの人たちが多いようだ。これも少し意外だった。役所かNGOかなどという二元論をするつもりもなく、ただODAを発展させたい一心で、守旧派への乾坤一擲の批判をしたかった。

 NBオンラインの記事は隔週で書いていく予定であるから、次々書き進めねばならない。言及して欲しいテーマなどある人は、「コメント」に寄せて欲しい。見知らぬ方々との知的往復を私の喜びとしたい。ODAの発展はなにやら実家の繁栄にも似て、喜ばしい。

 この世界にいる限り、未だ顔見ぬ寄稿者の皆さんといつかきっとお目にかかる。

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2008/10/07

日経ビジネスオンラインにてコラム公開中

こんにちは! 吉田鈴香です。

日経ビジネス「NBオンライン」にて、連載(タイトルは、吉田鈴香の「世界の中のニッポン」)がスタートし、早1ヶ月。

おかげさまで、さまざまなお声をいただいております。

本日10月7日公開の記事は、「新JICA発足、目的と財源は不明確なまま」です。

私の所感をぜひご覧ください。そして、ぜひコメントをお寄せください。

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2008/10/06

共通の文化を感じないこの世界の人々

 先週、20年間の思いのたけを込めて、ODA批判を書いていた。明日、NBオンライン(日経ビジネスオンライン)に載る。これぞ批判、と思わせるような正統派の批判を書こうと思った。従来の通俗的な批判ではなく、勉強した者ならではの突っ込みをしたいと長年思っていたのを、少し吐き出せたことに、使命感を果たした安堵を感ずる。もちろん反論に対応する責任を背負うことは承知の上で、今後連続して書き進めていくつもりだ。

 厳しい原稿を執筆するとき、私は時々ヘッドフォンで曲を聞くことがある。今回はサザンオールスターズと、宇多田ヒカルを中心に聴いた。津軽三味線(吉田兄弟じゃない)なども好む。批判に大切な思いきりのよさは、キーボードをたたく指に元気を持たるか、決めのワンフレーズを生み出せるかどうかで、決まる。曲を聴いていると、その集中力が高まるような気がするのだ。

 しかし、私がどんな曲を聴くかなんて、国際協力の人たちと話したことがない。20年間も同業についていて、皆誰がどんな人物かを知る狭い業界で、音楽とかアートとか、時代を共有できる共通の楽しさがないのである。いわんや、我が最愛の宝石の話など通じない。音楽やアートといえば、どこかの途上国で自作の曲をヒットさせた日本人青年の話だの、スポーツを普及させた成功談だの、なんでもかんでも仕事に結びつける。

だから何なの?

サザンの話ができないのだ・・・!!

息が詰まる。

この人らの頭ん中は金太郎飴やなかろうか。

私がODA批判を私にしかできない「我が任務」と思うようになったのは、こんな経緯も、あった。

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