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2008年9月

2008/09/26

世界万華鏡 食は奇妙な文化交流

 筆者がスウェーデンで研修を受けた同国の国防軍国際センターには、民軍協力のコースのために、NATO諸国と中東諸国、アフリカ諸国から三十数名が訪れていた。筆者はアジアから唯一の参加者であった。他のコースの在学生と教員を含めると、百名近くの多国籍が同時期にセンターに滞在していた。朝早くから夕方まで議論と論文執筆が続くのであるが、夜になると誰彼なく玄関脇のロビーに出てきて自由討論となる。同時期に滞在していた複数コースの中では筆者が在席していたコースが最も活発で、初日から明け方まで大声で話し、笑いあった。理由は、筆者が持ち込んだ柿の種と柿ピー(柿の種とピーナッツの混合)。日本生まれの日本育ちのおつまみである。

 柿の種と柿ピーを供出すると、皆、「これはなんだい?」といぶかしげな様子であったが、筆者がボリボリと音も高らかに食べ方の見本を示すと、そこは軍事関係者らしい潔さで、筆者に習った。すぐに、「お、これはいいな」「ビールに合うな」と口々に叫んだ。「俺、ビール持ってんだ。飲もうぜ」「俺はアイルランドからモルト・ウイスキーを持ってきた。これとも合うぜ」「ラム酒だっていいよ」ということで、それぞれの酒を持ち寄って、異種混合の酒盛りになってしまったのである。ひと呷りグビッとやっては、柿ピーをガサッとつかんで口中に放り込む。酒を飲めないイスラム諸国の人々は、コーラ片手にほおばる。「これ、どの酒にも合うなあ」「人によって噛む音が違うんだなあ」と、全員が共通した感想を抱いた。と、今度はその音を披露し合うことになった。彼らは食に「音」という概念を持ち込むことはなかったようで、その味と音とに、大いにはまってしまった。

 翌日、スウェーデン人が講義終了後に、最寄のスーパーでJAPONと銘打ったおつまみを調達してきた。ミックスあられである。「どうだ」といわんばかりに、広げると、全員が一斉に手を出し、こりゃあいい、と座は盛り上がった。筆者は、しかし不満であった。形は様々だが味は同じのが一つの袋に入っているだけではないか。異種の味が口中で混じるからこそおいしいのに。正しいミックスあられと柿の種、柿ピーを知らぬ彼らは、わが訴えにも耳を貸さず、ボリボリバリバリ。酒量もハイスピードで消費されていくのであった。

 日本のあられはどんな飲み物にも合い、宗教や地域のタブーに触れないようにできていると、どこの国でも大好評である。超文化的食べ物ともいうべきあられには、多国籍の人々を一気にまとめる力をもあることを、身をもって感じた。

 さて、研修の合間の日曜日、我々はストックホルムの街中に繰り出した。ストックホルムには何度か国際会議などで滞在したが、そのつど「すし屋」が増えている。スウェーデンはもともと生魚を食する文化を持つため、鮨に違和感なく飛びついたようだった。この日街で見かけた鮨屋の看板に、筆者の目は釘付けになった。「SUSHI & Coffee」。コーヒーのお供に鮨?日本の伝統食に国境はないと思っていたが、やはり、異文化の壁は、ある。

※この記事は、社団法人国際フレンドシップ協会の「the Communicator」9月号の「世界万華鏡」というコーナーで掲載しました。協会の許しを得て、掲載します。

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2008/09/22

日経ビジネスオンラインで連載スタート

日経ビジネス「NBオンライン」にて、コラムが始まりました。

タイトルは、吉田鈴香の「世界の中のニッポン」です。

本日公開の記事は、「金融バブル崩壊後、日本を救うのは農林業である」です。

私の所感をぜひご覧ください。

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金融改革を元に戻そうとする愚

 金融改革は小泉首相時代の大きな遺産だ。財政投融資を原資とする特別会計予算枠を廃止し、小さな政府へといわば明朗会計化したのだから、評価してよい功績だ。それを国民もわかって大いに衆議院選で勝利を収めたのである。

 ところが、この小泉改革をいまだに受け入れられない旧自民党議員が作った国民新党と民主党が金融改革を元に戻すことで合意をして、先週後半に新たに政党を作る協議を進めた。正式には成立しなかったが、選挙協力は。約束したようだ。何と愚かな民主党。せっかく政権奪取の正念場だというのに、議席増やすためなら、あばら骨さらした貧乏神疫病神と手を組むらしい。「読売ウイークリー」9月21日号に掲載されている「小沢内閣」の顔ぶれ予想は、かび臭い家から出てきた往年のバンドメンバーみたいである。

 一方、21日午前中のテレビ番組に5人組で登場していた自民党総裁候補たちの中では、小池百合子が図抜けて面白い。「私が総裁になったら、40代の閣僚をずらりとそろえてみせます」という。この人たちをさしているのかなと、ある顔ぶれが頭に浮かぶ。小池さんの情勢を見切って勝負に出る豪胆さを思うと、多分本気でそういっているのだろう。それがまた、自民党の古株には受け入れられない。

首相は性格で選ぶものではなし。左肩に貧乏神、右肩に疫病神が憑付いたような民主党内閣よりも、はみ出し発言があるくらいの40代閣僚をそろえた小池内閣の方が魅力はある。旧態依然の政治をぶっ壊してくれる…かも。

政治家もメディアも選挙権を持つ老人の意見は聴くというのに、政治に口を出す余裕もない働き盛りの世代はメディアでインタビューを求められることもない。もっとも、本音を言っても電波に乗せられる内容ではないかもしれない。「赤ちゃんは日々お金も時間もかかるというのに、給料安くて育てられない。後期高齢者はいずれ死ぬ身なんだからどうでもいい」なんて、ね。

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2008/09/19

本業で勝負するプロフェッショナル

 去る13日、14日の2日間で、小野不由美作「魔性の子」を再読した。数年前に読んで感嘆し、今回は描写に注目しつつである。ファンタジー小説なのだが、ファンタジーというには余りに迫真、近年の舞台なのだがいつの世にもありそうな設定、性別ある登場人物に性が感じられない不思議、状況描写に匂いの記述が混じる異様さ。冒頭に王維の漢詩が掛け軸のように並ぶ威厳にも圧倒されるが、イラストなく、行換えなく、画数の多い漢字が並ぶ書面に、胸が痞える。

 小野さんとは面識がない。だが、初作品から注目し、その際立った異能ぶりに感嘆し、敬服し続けている。雑文を週刊誌などで見かけることがないのもすばらしい。どこかのレストランの味を評するとか、交友関係を開陳するとかいうような私的な匂いを封殺して、一切のエネルギーを作品に投じている姿勢に、作家としての矜持を感ずる。恵まれた環境を得ている、とも言える。

 作家は作品で勝負するものだ。作者もラーメン屋だって入ることもあるだろうに、70年代の洋楽を聴いて育っただろうに。そんな身辺雑記は切り捨てている。私には後を追いたい先輩はいないが、小野さんの姿勢だけは私の手本にしている。

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2008/09/16

「国際協力を仕事にした女性たち」最新号

日経ウーマンネットで連載中の「国際協力を仕事にした女性たち」最新号は、TICAD4市民フォーラムでキャンペーン担当理事をした長島美紀さんです。

5月のTICAD4を国民参加型に作り変えた人です。
イベントの面白さに目覚め、その後イベントプロデューサーの道に本格的に入りました。現在、歌手MISIAの事務所でコミュニケーションプランナーをしています。

ぜひご覧ください。

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『篤姫』に見る、人脈の形成と声と身のこなしの美

 NHKの大河ドラマ「篤姫」を好んで観ている。参考にしたい女性たちの立ち居振る舞い、とくに、立ち上がり方、踵の返し方、座り方、そして声の出し方を、そこに見出せるからだ。座るにも立ち上がるにも、左足を少し引いて上半身が床に対して垂直に動くように重心を移動する。声を出すときは下腹に力を入れて大きくはっきり声を出す。したがって声は低めに、下から前に突き出るように響く。


とくに、島津斉彬の正妻、英姫役の余貴美子さんの威厳ある歩き方は、私も取り入れようと思った次第である。映像の中で動きといえば江戸屋敷内を歩くところしかないのが、このドラマの特徴だ。余さんは一歩一歩を悠然と時間をかけて進め、見せ場にしていた。上座から下座へと一段下がるとき、高く結い上げた髪が御簾に当たらぬように膝を折りながらも上半身は床に垂直。以前、演劇と謡曲の舞台に立っていた私の目にも、彼女は由緒ある家で生まれ育った風情をありありと映していて、適役だった。


 もうひとつ、直接的な権限がないながら政治に関与する知識欲を持続的に持っている女性たちに感じ入るのである。それがあるから、初対面の人にも臆せず意見を言い、反論されれば聴き、また考え直す。「また会おう」などと気楽にいえない立場であるから、一期一会の真剣勝負で人と会う。これぞ、人脈形成の基本だろう。“良い人”ぶらず、存念を相手の目を見て伝える度胸があり、また、相手にしっかり「あなたを覚えました」と伝える。史実が果たしてそうだったか不明だが、これもまた、大いに参考になる。


 時々、誰かを紹介するに当たり、「よい方ですよ」と言う人がいる。こうした紹介の仕方をする人こそ、人脈の何たるかを知らないのでは、と思うことがある。どんな考えで、具体的に何に対してどうかかわっている人か、を伝えるのが、人に関連する情報である。そんなことを反芻しながら観ている。


私はしばしば、感ずるのであるが、現代女性は年齢を問わず、はしゃぐことを“かわいい”と勘違いし、レストランなどではた迷惑なほどに大声で話すことを男性の歓心を買っていると誤解する傾向が非常に強い。老齢の女性ですらそうした行動をとる。生まれてから棺おけに入るまで女性は可愛くあらねばとプレッシャーを受け続け、いつしかそれに従ってしまうため、日本女性の声は総じて甲高く、語尾をわずかに延ばす。外国人男性が日本女性に性的魅力を感じる一因だ。


フィリピンのアロヨ大統領、リベリアのサリフ大統領、高い地位に着いた外国の女性たちは低い声で威厳を持って話す。わが国の女性政治家、閣僚の声を思い出しては、恥を感ずるのである。

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2008/09/12

NGOは人を育てるか?

 昨晩、私が理事を務める、あるNGOの理事会に出席してきた。ほかの理事は全員50代から70代の男性である。職員が説明している間、電卓で会計収支が合っているかを確認する人あり、携帯を覗く人あり。予算配分の適切さとか、維持管理費の少なさへの言及など、肝心な質問はない。私は人件費のあまりの少なさに驚き、説明を求めたところ、こんな答えが返ってきた。

・ 国内人件費は外務省やJICAでは一切めんどう見てもらえず、海外に出ている間だけ日当が支払われる。日本にいる間はほとんど無給。

・ 法律を改正しない限り、国内の人件費に資金を投入することは無理。 

私は、自己資金を増やす対策を早急に考えねばならぬことを問題提起し、出入りする学生を動員してのバザーの開催、コア・コンピタンシーを表した短い書類の作成を古参の理事に依頼した。

しかし、理事たちははっきりとは承諾しない。老眼鏡をかけている理事たちの目が、名実共に濁っているように見え、次第に腹が立ってきた。  

私が無給の理事を引き受けたのは、このNGOの技術が優れていると思ったからである。理事長には私に何を期待するのか何度も聞いたが、理事長は「女性でものを言ってくださる人がほしかった」というだけで、合点が行く答えがなかった。ODA機関などに売り込みもしたが、そのつど言われたのは、「仕事を頼んでも出張ってくる人材がそのつど変わる。彼らの手法はさほど新しくない」であった。ほかのNGOとの差別化ができない上に、商談相手がいつも違っては、民間ではまず見向きもされない。NGOだからまかり通っているのだった。若手職員は「もっと言って」といわんばかりの目で私を見上げていた。  

人を「人材」として育て上げるには、十分に食べさせ、青春を味あわせ(つまり恋愛、遊興、悩みに時間を使える境遇におく)、問題関心を誘発するような難問を課せなければならない。このコストが、会計費目では人件費、家賃、交通費など「維持管理費」に相当する。一般に欧米では4割ほどをさいている。ところが、日本では寄付はどれも「この事業に」と指定され、国内費用に振る向けることができない。ますます海外事業を増やそうとする。と、ますます国内活動が手薄になり、補助金や委託事業を授けるファンド側の不信を買うことになる。そして、海外事業もできなくなる。 

 寄付する側もおろかだが、国内維持管理費の重要性を訴えないNGOも、日本人の意識喚起を怠っている。昨日のNGOの理事長は、「私たちの口からは、威張っているように見えるから言えないのだ」というのであった。  

 NGOの表舞台では、これとは全く異なる役割が彼ら彼女らを待っている。講演である。活動報告や、公的なシンポジウムでの意見発表など頻繁に壇上に上がって意見を述べる機会がめぐってくる。その目的は一般人の理解をえて支持層を獲得して寄付を募ることにあるのだが、若くしてその機会を与えられ、称えられ、満足して続けていると、自分が偉大な人物であるかのような錯覚に陥ることがある。そして、早々と「完成品」になってしまう。人間としても、仕事師としても、現状で頭打ち、成長がなくなるのである。本人は気づいていないだけに、哀れである。  

 いや、若い人だけではない。定年退職後に「ボランティア」としてNGOを始めて、周囲から褒め称えられているうちに、「自分が日本を背負っているんだ」といい始めた人があった。その真意を問うと、「国会議員が激励に訪れたりして、その熱意を褒められ、誰にもできないことをしているから」であった。  

 何事も目的をしっかり念頭に置いて現在の役回りをこなせる人材は、なんと少ないか。受注者だからと発注者のJICAから暴論を吹っかけられ冒涜されても文句をいわぬコンサルタントも卑屈と思うが、NGOが常に人を育てるとは、思えないのである。

NGOにいるか、コンサルタントになるか、政府の職員になるか、そんなことはどうでもいい。胸に哲学を抱いていれば、もっと自分の能力を高めようと思うだろう。目の前にいる人と自分とを比べて「自分のほうが有能だ」などと満足しないだろう。常に自分を追い立てる厳しさをもてるだろう。

 能力のピークをどこに持ってくるか、考え、それまで、ありったけを吸い、ありったけを発し、ありったけ知識とネットワークの分母を大きくしてほしい。

私のピーク? 私は60歳だと思っている。

本件に関しては、『環境会議』(9月5日宣伝会議発行)を参考に読んでいただきたい。

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2008/09/11

NGOを見る目

 企業のCSR熱の高まりもあり、近年はずいぶんと海外から国際NGOが日本で事務所を構え始め、寄付を募っている。すでに20数年来日本で同様の活動をしている国際NGOもあり、また、国際機関もNGOそっくりに募金活動を行っているため、市場は過熱気味である。彼らが首尾よく寄付を獲得しているかどうか、別の機会に述べることにして、今日は、寄付をするに当たり、NGOのどこを見ると参考になるか、私見を述べたい。


 まず、事務所を訪ねることである。事務所の雰囲気を感じ取ること、寄付者の訪問をどんな目で迎え入れるか経験すること、書棚にどんな本があるか見ること。ゴミ箱が山盛りになっているようなNGOは規律が不徹底とみなすことができる。そう、企業訪問と同じである。


 次に、できれば会員になって、総会に出席すること。理事や会員から異論が述べられることがあるので、それを注意深く聞き、納得がいく説明をしているかどうか、自分の目と耳で判断するといい。質問者が重箱の隅を突っつくようなことを言っているのなら、気にすることはないが、自分も気になるような質問であれば、耳を傾ける。


 私はほとんどのNGOの事務所を訪問してきた。ジャーナリストとしてだけではなく、寄付者、会員としてボランティアに参加したこともある。ある日のこと。公式のシンポジウム後に、ある人物インタビューをお願いしていた。楽屋裏に行くと、そのNGOの理事たちが食べ物を大いに食している真最中。理事役の俳優さんが持ち込んだと思しき弁当ありケーキあり。皆背を丸めて卓を囲んでいた。見知らぬ私が彼らの傍らを横切っても一顧だにしない。


これをどう見るか。見知らぬ訪問者に目を留めるものが一人もいないことは、外に対して緊張感がない組織文化と、私は見た。広告を出して大いに募金を集める組織である。自分たちがどんな目で見られているかを意識するセンスがあれば、がやがやと食事に熱中する舞台裏を見られることはバツが悪いと感じるはず。専門職員にも理事にもそんな意識がなかった。会話内容も、我が耳に筒抜けである。


以前、仕事場と住居が同じの旅回り一座の取材をしたとき、役者の一人が私に自分たちが食べている菓子をティッシュペーパーに分けて持ってきてくれた。駄菓子である。心遣いがありがたく、好意的な記事を書こうと思った。外部者は、そんなわずかなことに人間付き合いを感じ取るものだ。


国際支援の世界は、苦労知らずが多い。

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2008/09/08

福田首相退陣は、無為の国ならでは

 「お上など何するものぞ。そんなものなくてもわたしらの生活は何事もなく続くのさ」と、笑い飛ばす農民の言葉を思い出した。古典の教科書の冒頭で習った記憶がある「無為」の下りだ。福田首相の政治放棄は、まさに、「無為」を胸によみがえらせてくれた。国民の多くは大いに政治そのものへの失望と反感を感じたに違いない。

アフリカなどのリーダたちは

 脆弱国と呼ばれる、アフリカなど多くの政治が乱れている国々のリーダーは、自己防衛の弁に優れていると同時に、枕を高くして眠れないという。政敵からも、一般国民からもいつ襲撃されるかわからないからだ。国民は皆、政治に敏感であり、井戸端会議で政治家の悪口を言い合うレベルにとどまらず、失策が続くと暗殺や革命に一気に至る。為政者はますます国民の声に耳を閉ざす。そして強権の発動、動乱、暗殺と転げ落ちるのである。ただ、最近は政敵が一般市民を動員してリーダーを官邸から物理的に追い出す手法が実施され始めているようで、タイがその顕著な例である。昨年末のケニアは、政敵の支持層を襲撃しあうという、もっと凄惨な事例であった。つまるところ、政治家同志の国会での弁論による直接対決ではなく、代理を立てての物理的衝突である。日本がこうした路線に陥らないのは、国民が賢く、政治家の首が変わっても暮らしに変化なし、と国民だけで社会を成立させて見せると矜持を持っているからだろうか。だとすると、日本の政治家は国民に感謝せねばならない。

国民に甘える政治家、ビジョンの提示を

 しかし、いつまでも国民に甘えるな、と言いたい。国民が求めているのは、個別政策と言うよりもビジョンのほうである。どういう国家にするのか、どんな概念を外に向かって訴えるのかを知りたい。

国際政治学者の故高坂正堯は、国家の役割を3つの体系にまとめた。力の体系、利益の体系、価値の体系である。それぞれ、国民の生命を守るための軍事力、財産を守る外交、経済、食料などの政策、そして国民に美醜を明示すること、とした。これまでの日本の政治は、2番目に集中し、昨今は力の体系に取り組む姿勢も見られる。だが、最後の美醜、善悪の価値の提示をおろそかにしていることか。「命の大切さ」などという日常レベルのモラルを訊いているのではない。土地を共有しあう者同士が寄りよい社会を作るために胸に抱くべき価値観を問うているのである。

例えば、米国はそれを自由と民主主義においている。日本も異存はないだろうが、民主主義の詳細な定義は各国によって差異があってよいのだ。日本が打ち出す民主主義を、政治家の口から聞いてみたい。それは国家ビジョンと通じる価値である。ゲーム理論にのっとった政局に関係する報道ばかりを聞かされる国民の身になってはいかがか。この基本を示せぬ与党は、下野すべし。

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2008/09/05

本日発売『環境会議』2008年秋号(宣伝会議発行)でコラム掲載

『環境会議』 2008年秋号(9/5本日発売) :宣伝会議発行で、コラムを掲載しました。

「特集 サミットの課題を実践するNPO・企業・行政の協働」の中の、「プロが核になる組織体制」をかきました。

お近くの書店で手にとっていただければ嬉しいです。

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日経ビジネス「NBオンライン」で連載スタート

日経ビジネス「NBオンライン」にて、コラムが始まりました。

タイトルは、吉田鈴香の「世界の中のニッポン」です。

本日公開の記事は、「日本の宰相には“マルチセンス”が欠けている」です。

私の所感をぜひご覧ください。

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メディア掲載歴

『環境会議』2008年秋号
特集 サミットの課題を実践するNPO・企業・行政の協働「プロが核になる組織体制」

『フォーブス』2008年10月号
「小松製作所が取り組む地雷除去のプロジェクトについて」

『外交フォーラム』2008年2月号
「人間の安全保障」普及に向け、概念の明確化を」

『開発ジャーナル』2007年7月号
「注目集めるマイクロファイナンスの新手法~小規模融資と移民送金を連結させた企業」

『開発ジャーナル』2006年11月号
「国際協力分野のキャリアパス―女性からの視点」特集「斬新さと外の空気を持ち込む女性に出番を」

『外交フォーラム』2006年11月号
「平和構築はあらゆるアクターによる総合産業」

『開発ジャーナル』2005年1月号
「小規模金融と市民送金を連結させる私企業が誕生」

『フォーブス』2005年6月号
「バリのビーチを復元・保全する日本企業の現地融合努力」

『正論』7月号
「紛争が生んだ必要悪、民間軍事会社の存在意義」

『正論』2005年6月号
「日本なしでは生きられない中国」

『フォーブス』2005年2月号
「日本人バンカーが考案した海外送金をマネロンから防止する方法」

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2008/09/04

思わぬ愛の表現

四十路夫婦

男女平等の精神にて

家事の分担共になし

出勤時刻も同じうす

さりながら

日本男子は快男子

ホームに並べば他人面

女房尻目に我先座る

妻はひとり置きて隣席に

満員電車は瞑想時間

目を瞑って鼻掃除

夫の目の前

女立ち大きな声で

「それ取って」とて

紙を差し出だす

大きな声に目を開け夫

誰に言うたか分からずに

人差し指に丸薬つけて

女を見あぐ

妻はまなじり吊り上げた

「いえ、ありますから」

女を制し

紙を夫に差し出だす

男は紙に丸薬ねじ込む

「あるなら早く出してよね」

睨みあう妻と女

夫、二人を制さむと

「鼻くそはみな汚いのだ」

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